御影陣屋跡

みかげじんやあと

御影陣屋跡

御影陣屋跡概要

指定項目

御影陣屋跡

所在地

小諸市御影新田字屋敷894

所有者及び管理者

小諸市

指定年月日

昭和40年2月25日(県史跡)

概説

幕府直轄領を支配し、中之条代官の出張陣屋(陣屋:旗本や代官の支配地における役宅や屋敷で、代官所ともよばれる。陣屋には郡代・代官の居宅である本陣、公務を行う役所、家臣の住宅、土蔵などがあった。)であった御影陣屋が置かれていた所で、面積は3,365平米である。

代官は幕府の勘定奉行の下に属し、江戸に常住(江戸詰)し、年に一、二度任地に出張して、現地に常駐する手附や手代(江戸時代、郡代・代官・奉行などに雇用され、収税その他の雑務をつかさどった小吏)を監督するだけであった。手附や手代は資格が違うだけで執務はまったく同じであり、これも幕臣が任命されるのが普通であった。

開発人柏木家の屋敷内に設けられた御影陣屋は、天和2年(1682年)に平賀村に陣屋が置かれて後、佐久郡内を変転しながら、寛延2年(1749年)、中之条陣屋(埴科郡坂城町)の出張陣屋として御影陣屋がふたたび置かれ、以後、明治維新まで存続した。

御影陣屋の定員は支配役人四人と追分宿の貫目改所(江戸時代、荷物の重量を検査するため、幕府が宿駅の問屋場に置いた機関)詰一人で、寛延(1748~1750年)以降、佐久郡の天領(江戸時代の直轄地)八十七ヶ村三万石余の年貢、出納、戸籍、土木、警備、裁判などを取り扱っていた。

最初は元禄12年(1699年)に臨時的なものが設置されていたようである。その後、臼田、高野町等を転々とし、代官島三郎左衛門の時(寛延2年、1749年)再び御影新田村に陣屋が開かれた。この時、陣屋の建物が開発人柏木小右衛門の屋敷内に三十両の資金で建てられたという。文政10年(1827年)、御影陣屋を廃止し、中之条陣屋支配下に編成されるという風聞が出たので、柏木小右衛門等が江戸へ出府し、御影陣屋の存続を勘定奉行へ訴えたという。

市は指定地を史跡公園として整備するとともに、道向かいに「小諸市立天領の里・御影用水史料館」を建設し、関係資料を展示している。

御影陣屋跡の写真
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更新日:2022年10月20日