令和7年度企画展「小諸義塾と藤村~木村熊二と教師・島崎藤村~」
「小諸義塾と藤村」~木村熊二と教師・島崎藤村~

企画展について
【内容】
恩師の木村熊二の要請により、明治32年春、
国語と英語の教師として小諸の地に降り立った若き藤村。
塾長熊二の目指した小諸義塾とは、どんな学校だったのか?
そして、藤村はどんな授業をしていたのか?
その一端を紹介します。ご覧ください。
【期間・会場】
期間 令和6年10月5日(土曜)~11月24日(日曜)
会場 小諸市立藤村記念館 [開館時間 9:00~17:00(期間中は無休)]
【同時開催】産学連携発祥の碑落成記念展示
「木村熊二の社会貢献展」~塾長 木村熊二と塩川伊一郎の桃栽培~
会場 小諸市立小諸義塾記念館(懐古園三の門近く)
【人物紹介】
島崎藤村

島崎藤村(1872~1943)
明治・大正・昭和の三代にわたって息の長い活動をつづけてきた日本近代の代表的文学者です。
明治32年、恩師木村熊二の招きで、小諸義塾の国語と英語の教師として家族とともに小諸へ移り住み、6年間過ごしました。『若菜集』の詩人として登場し、『破戒』という文学史上、画期的な位置を占めることとなった長編小説を自費出版し多くの反響を呼びました。以後、自らとその周囲の人々の人生をモデルとしてリアルな小説を描き続けました。
木村熊二
木村熊二(1845~1927)
キリスト教の牧師であり、小諸義塾を設立した教育者です。小諸義塾に教師として藤村を招いた、藤村の恩師でもあります。
京都で儒者の二男として生まれ、江戸で学び、幕臣となります。幕府が敗れた後、初代駐米公使一行に加わり単身アメリカに留学し、キリスト教と出会い宣教師となって帰国、伝道活動や教育者として尽力します。 神田共立学校(現 開成学園)では藤村に英語を教え、高輪台町教会でキリスト教の洗礼を施しました。また、日本人だけで運営する初の女学校「明治女学校」を設立しました。
その後、地方への伝道活動を決意、信州へ移住し数々の産業・社会貢献活動を行います。 小諸にて私塾設立ののち、書斎・水明楼近くの鉱泉を掘削して中棚温泉の基を築きました。また、三岡村に桃栽培も奨励しました。
閉塾後は再び伝道活動を続け、最期は東京・白金の自宅にて亡くなりました。
その他
演奏会イベント(予定)
企画展会期中・懐古園紅葉まつりにあわせ、藤村記念館前庭にて演奏会を開催いたします。
(天気の状況などにより、日時が変更・中止になる場合がございます。ご了承ください。)
・11月2日(日曜)13:00
オカリナ・ブーケ「響け・秋色のオカリナ! ~藤村詩も奏でます~」
・11月3日(月・祝)11:30、13:00
きらら会「小諸高校音楽科卒業生による藤村詩の演奏会」
・11月15日(土曜)11:00、13:00
コピーヌクラブ「ピアノ・フルート・バイオリンによる演奏」
- この記事に関するお問い合わせ先
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藤村記念館
〒384-0804
長野県小諸市丁315番地(懐古園内)
電話:0267-22-1130
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更新日:2025年09月17日