白鳥映雪館(概要)

日本画家/日本芸術院会員 白鳥映雪画伯

白鳥映雪画伯の写真

-白鳥映雪画伯- 日本画家/日本芸術院会員・日展顧問・勲三等瑞宝章

 日本画壇において、繊細かつ幽玄な美を探求しつづけた画伯は、「美人画」で一世を風靡した師で伊東深水の後継者として、数多くの傑作を発表してきました。

白鳥映雪館は、画伯の作品を常設展示しており、随時作品の展示替えを行っています。

 《生家》

昭和18年
(1943年)

文展出品作

 

生家

 第二次世界大戦中、海軍の砲術学校を卒業して少尉に任官し、ミッドウェー海戦に出陣する前に一時生家に帰省した青年の凛々しい姿を、弟をモデルに制作した作品である。

 文展(現在の日展)に初入選した画伯にとっては記念となる作品。

《 立秋》

昭和25年
(1950年)

日展出品作

 

 立秋

 日展特選、白寿賞作品。

 戦後間もない日本橋のビルの屋上から、焼け残った建物を背景におき、夕空を見る、それぞれ異なる衣裳をまとった三人の女性を描いている。

 《菊慈童》

平成5年
(1993年)

日展出品作

 

《菊慈童》

 中国の古典に取材した能楽の舞台を描いた作品。

 恩賜賞、日本芸術院賞受賞作品。

 菊の葉の露を飲み700歳まで若さを保った慈童を演じるシテを淡い色調で仕上げている。

 恩賜賞は、天皇陛下から授けられる賞である。

白鳥映雪 年譜

 


◎1912年/0歳
長野県北佐久郡大里村(現小諸市)に生まれる
本名は白鳥九寿男、生まれてすぐに母を亡くす

◎1919年/7歳
大里小学校入学、父を亡くす
小学校のとき伊東深水の美人画を見て画家を志す

◎1932年/20歳
上京、丸山晩霞の紹介で伊東深水の門下になる

◎1933年/21歳
通い弟子のため生活の糧を得るため様々な職につく

◎1938年/26歳
大森の池田歯科医院で歯科技工士として働く
夜間川端画学校、本郷絵画研究所に学ぶ

◎1940年/28歳
従軍画家に志願、報知新聞社委嘱特派員を兼ねて中国戦地に行く

◎1941年/29歳
李王殿下への献上画を陸軍の依頼で制作、大阪城にて拝謁の栄誉を受ける

◎1943年/31歳
「生家」が新文展に入選

◎1945年から1949年
故郷小諸で伊東深水の制作助手となり、師弟の絆を深める

◎1950年/38歳
「立秋」で日展特選、白寿賞に輝く

◎1957年/45歳
「ボンゴ」2回目の日展特選、白寿賞
深水門下と希望門下で結成された日月社に参加、総務部長となる

◎1965年/53歳
日展会員になる

◎1972年/60歳
師匠伊東深水死去、小諸にアトリエを構える

◎1980年/68歳
長女の美映子死去、鎮魂画「やすらぎ」を描く

◎1982年/70歳
日展評議員になる

◎1986年/74歳
「寂照」で日展内閣総理大臣賞受賞

◎1989年/77歳
長野冬季オリンピック招致にあたりサマランチ会長へ美人画が贈呈される

◎1994年/82歳
「菊慈童」恩賜賞、日本芸術院賞を受賞

◎1997年/85歳
日本芸術院会員になる

◎1998年/86歳
日展顧問に就任、小諸高原美術館・白鳥映雪館が建つ、小諸市名誉市民となる

◎2003年/91歳
勲三等瑞宝章受章

◎2004年/92歳
脳梗塞から再起した番組NHK「命ある限り」が全国放映される

◎2006年/94歳
信濃毎日新聞主催、ながの東急共催「不屈の画家・白鳥映雪」展が開催

◎2007/95歳
逝去

 

白鳥映雪の詳しい軌跡は、下記のホームページよりご覧いただけます

白鳥映雪の軌跡リンク先
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更新日:2023年09月14日