小諸城大手門

小諸城大手門概要

指定項目

小諸城大手門

所在地

小諸市大手町一丁目150

所有者及び管理者

小諸市

指定年月日

平成5年12月9日(国重要文化財)

概説

大手門は、小諸城の城郭配置からすれば、小諸城の表玄関(正門〉にあたる。慶長17年(1612年)、藩主仙石越前守秀久が小諸城を築いた時代の建築で、大工は江戸から招いたと言われ、当時としては瓦葺の門は珍しかったので瓦門と呼ばれたと伝えられている。下層の間口六間半、奥行二間半、高さ六間余、入母屋造二層瓦葺の城門で、大棟西端に現存する鬼瓦の面には、「三州藤井 藤原氏十人 文化九申(1812年)八月吉日」と記されていることから、この時葺き替えが行われたことを語っている。

しかし、軒の巴瓦や端瓦の中には今なお慶長の建築当時のものを数多く残し、後の明治の修理のものとともに、少なくとも三種のものを交えている。構造は創建当時の姿を残し、門扉をつけた欅柱は二尺二寸五分に一尺六寸五分の角である。門扉は潜りの扉だけが現存していて、これには鉄の入八双金具をつけ、隅にも同じく隅八双金具がつけてある。木割りが太く左右の妻には破風と木連格子をつけ、これに懸魚は風化の度が甚だしいが、おそらくは慶長のものであろう。木鼻には明らかに桃山時代の様式を示す「しかみ」が見られ、舟肘木とともに質実剛健な慶長建築を偲ばせている。

二階は居室風になっていて、畳敷で長押をうち、猿頬天井であること、桁を左右の石垣の上に乗せずに、その間に独立して建設していることなど、日本の城門発展の過程を知る重要な建物である。明治維新後は民有となり、小諸義塾の教室として明治29年(1896年)4月、西洋造りの塾舎ができるまで仮塾舎となった。

大手門は、江戸時代の姿に復原することを目的に、保存修理工事を行いました。

保存修理の様子は、下の「小諸城大手門保存修理事業の様子」をクリックすると、事業の概要・工事の写真をご覧いただけます。

小諸城大手門外観写真
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更新日:2019年03月28日