銅造阿弥陀如来及両脇侍立像
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銅造阿弥陀如来及両脇侍立像
指定項目 |
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像 |
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所在地 |
小諸市甲3760(囁) |
所有者及び管理者 |
小諸善光寺(大雄寺) |
指定年月日 |
昭和62年8月17日(県宝) |
概説
もと佐久郡大井庄落合(現佐久市)にあった新善光寺から伝えられたものだという。佐久新善光寺の来歴は詳らかでないが、現在南佐久郡小海町大字豊里字松原の諏訪社に弘安2年(1279年)の寄進名を有する新善光寺の梵鐘が伝えられており、その草創がそれ以前にさかのぼることを知りうる。
本像は鎌倉時代造仏の特徴である銅造鍍金、善光寺式一光三尊仏で、中尊の螺髪は大きめで、彫眼には幾分うねりがあり、衲衣は左肩から右脇にかかり、左手を下げ、右手を前に出して阿弥陀の印を結び、両足は爪先をそろえている。高さは、47.5センチである。
両脇侍はともに右手を上、左手を下にして掌を合せており、四山冠(宝冠)の両側には径0.3センチほどの孔があいていて、纓絡を下げた跡がある。脇侍像の蓮肉下の台座、中尊の台座、光背、厨子は後補のものである。高さは、30センチである。
三尊とも面貌は目尻を少し下げ、頬の張った引き締まった顔立ちをみせ、また上体も肩を張った太い造りのものとなっている。さらに中尊像の衲衣や三尊の裳の衣文の隆起は総じて高く、力強い。こうした充実した造像からすると、その製作年代は鎌倉時代中頃(13世紀後半)まで遡るものと思われる。
鍍金:金を用いて銅に焼付けメッキをすること。焼付けたものを金銅という。
螺髪:仏の三十二相の一。仏の髪が右に旋屈して螺状をしたもの。
纓絡:インドの貴族男女が珠玉や貴金属などを糸を通して作った装身具。また、仏像などの装飾ともなった。
衲衣:僧の着る衣。
善光寺式阿弥陀三尊:長野・善光寺に伝わる三尊像の模刻像が鎌倉時代に流行し、善光寺式阿弥陀三尊と呼ばれている。左右に観音・勢至の菩薩を安置し、如来像を中央に中尊として配する。ただし、当の善光寺像は古来厳重に秘仏とされてきており、像容や当初の尊名も確かではない。模刻像は6世紀代の中国や朝鮮で流行した一光三尊である。
中尊:三尊、多数尊の中央の一尊。脇待などに対していう。
脇待:本尊の如来をはさんで左右に立つ菩薩。脇士(わきじ)。
光背:仏像の後ろにつける、光明をかたどった装飾。

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更新日:2019年03月28日