第22回小諸・藤村文学賞 高校生の部最優秀賞作品

第22回小諸・藤村文学賞 高校生の部最優秀賞

萩光塩学院高等学校2年 野村 和未(なごみ)

 鼻が大きい。顔が脂ぎっている。鼻毛に白髪が混じっている。髪が少なく薄毛っぽく見える。短いと思われる足。下っ腹が出て妊娠5、6ヵ月かと見間違える。真冬に、ノースリーブのシャツ一枚で、部屋で過ごすくせに寒がり。言い間違いが多いのに自分はちゃんと言ったとひらき直る。基本短気。自分の思い通りに事が運ばないと、不機嫌になる。

 これが私の父親だ。そして私の小鼻も大きく、父親にそっくりと言われる。非常に迷惑な話である。そう考えると、いわゆる『素敵』と名のつく所がどこにもない。まったくもってない。母は、父のどこがよくて結婚したのか、不思議でならない。かといって母が素敵女子かと言われれば、これもまた首をかしげるしかないのだが…。

 ちょっと聞いてみた。「よくわからんのよね」と母は答えた。そして、こう続けた。

 「六年間つきあって結婚したから、流れかもしれないけど、たぶんそんなにすきじゃあなかったんじゃないかと思うよ。」

 はっ? 好きでもないのに結婚したの。

何か弱みでも握られていたのだろうかとさえ思ってしまった。実際に両親は、私が六才の時に離婚している。私と弟と母は、三人で小さなアパートで暮らし始めた。時々父親がやってきて、父子三人で遊んだ。友人に、「お父さんは、何時に帰ってくるの?」と言われるのが一番辛かった。はじめ父は、私たちのアパートに入ってくることはなかった。いつ頃からか、夕食を一緒に食べ、風呂にも入り、私と弟を寝かしつけてから、自分の自宅に帰るという生活になっており、その頃から、母も含めた四人家族で出かけるようになった。端から見れば、どこにでもいるごくごく普通の家族だったと思う。しかし父と母は、まぎれもない他人。そんな生活が数年続き、私が九才になる年に復縁した。私と弟の前で料理をしている母に向って、「結婚してください」と言っていた。その時は嬉しく思ったかもしれないが、今だったら、言った本人(父)ではなく聞いていた私と弟が、穴を掘って入りたいくらいだ。よくもそんなことを、子供の前で言えたものだ。

 結果として、父のプロポーズ?は成功したのである。それから父は、母を大切にした。母もまた、父を大切にした。それから今に至るまで、たまに喧嘩はするが、バカ夫婦の称号をさしあげたいほどのアツアツ夫婦になっていった。兄弟が一人、また一人と増えていき四人兄弟となり「多すぎる」これが私の本音であるが、両親はどこ吹く風で「貧乏子沢山を地で行くね~」と呑気に言っている所にまた腹が立つ。いわゆる、リア充というやつを家で見せつけられているこっちの身になれ。

 話は戻るが、母は続けてこう言った。

「復縁してから、パパのこと好きになったんだろうな」と。だから、どこがいいのか聞いたのだが、返事になっていない。母のために変わっていき、母だけを好きな父が好きだ、ということらしいと勝手に解釈した。そういわれて、父を改めて分析してみると、見た目は、どうしても不細工であることは間違いない。

 しかし、母にやさしく、四人の子供たちのことを一番に考えている。仕事の母に代わって、夕食を作る。得意料理は、丸美屋の麻婆豆腐とチンジャオロース。最近のブームは、玉ねぎとベーコンのコンソメスープだ。包丁使いも上手になったと思う。

 話を戻すが、洗濯も干す。アイロンがけは、母よりも上手だ。

 最近の私は、父と良く話す。二人で話すことも多い。そんな時に思うのは、本当に母のことを愛しているんだなということと、家族想いなんだということだ。

 そして、結論に到達した。どう考えても不細工だが、父はやさしく強い人だということ。もう少し遠慮してほしいと思うくらいに、仲の良い両親。貧乏子沢山を地でいくが、別に格別困った事もない。しいて言えば、買物に行くと、母がお菓子は九十九円までと高いお菓子を買わないドケチということぐらいであろうか。

 そう思うとしつこいが、私の父は不細工だ。しかし私の日常は、飽きのこない幸せなものなんだろうと思える。父親ゆずりの小鼻の大きな鼻も、愛しく思えるかもしれない。

 最初にボロクソにかき下ろした父の名誉の為に、少しだけ付け加えると、顔の脂がなにかのエコに使えないものかと、いつも母が言うほど脂っぽい父だが、足はくさくない。

 愛すべき、どこか可愛らしい父へ

 娘より。

(山口県萩市)

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平成28年6月21日

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更新日:2019年03月28日