唐松一里塚
からまついちりづか 唐松一里塚
指定項目 | 唐松一里塚 |
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所在地 | 小諸市御幸町一丁目1512-53、54 |
所有者及び管理者 | 小諸市 |
指定年月日 | 昭和47年3月31日(史跡) 指定番号 4-4 |
概説
江戸時代に入り、徳川幕府は慶長9年(1604年)2月、東海道、中山道などの街道を整備し、初めて一里塚を築かせた。江戸日本橋を基点とし、36町=1里(約4キロ)ごとに土を盛って5間四方の塚を築き、その上に多くは榎・松を植えて里定標(道ばたなどに立てる、里程を記した標識)とした。榎が植えられたのは、根が深く広がり、塚が崩れにくくなることにあったと言われている。
小諸藩でも藩主仙石越前守秀久が幕府の命により、中仙道と北国街道の整備に合わせて一里塚を築かせている。唐松一里塚は、追分で中山道と別れた北国街道の第3番目に当たるもので、平和公園(旧御野立所=天皇の野外の休憩所)に近い道路の両側にある。当時は、街道を往来する旅人に道程を知らせたり、夏などは涼しい木影を与え、よい憩いの場となったであろう。
小諸市内には、平原、唐松、青木の三ヶ所あったが今はここに残るのみである。

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更新日:2019年03月28日