小諸八幡宮八朔相撲

こもろはちまんぐうはっさくすもう

小諸八幡宮八朔相撲

指定項目

小諸八幡宮八朔相撲

所在地

小諸市八幡町一丁目7番1号

所有者及び管理者

小諸八幡宮

指定年月日

平成8年3月15日(市重要無形民俗文化財)
指定番号 3-6

概説

八幡宮は慶長13年(1608年)、小諸城主であった仙石越前守秀久が中山道八幡神社を当地に勧進したと伝えられている。

元禄4年(1691年)に八幡宮の祭礼行事として当時の藩主石川能登守乗紀が相撲を始めたとされ、旧暦の八月朔日(一日)に行われていることから「八朔」の名がある。

荒町全町の中から6歳~14歳までの子どもが土俵入りをする。みな金系銀系で繍箔(刺繍で飾る)したさん然たる化粧廻を締めて、縮緬の思い思いの襦袢を着し、福草履(白と紫をより合わせた太い緒の草履)を履き、大組には二人の横綱あり、これは縮緬の白と桔梗紫のより合わせた綱を腰に廻し、その先を後より両肩に出し七五三を下げる。本場所のそれに異ならず、行司はやはり、その年長者のうち二人、肩衣(室町時代移行の武士の礼服。小袖の上に、肩から背中をおおって着るもの。下には半袴を着ける。)、福草履に軍配扇を持つ。

子どもたちは年齢により、小組・弓引・中組・大組の四組に分けられている。以前は祭典の十日前から稽古を始めたと言われている。

祭典前日に、八幡町公民館(以前は海応院、呑竜様仏光寺)で支度をし、祭事係、相撲世話人が付き添い、予習する。

祭典当日は、最上の組を先頭に、行司、横綱、大組、中組、弓引、小組の順で町内を一巡する。その後、社内に入り、神前でお払いを受けて、定の席に着く。古くから藩主が上覧したことから御前相撲と称え、祭日の式はこの土俵入りが終われば、それで御祭礼相済み、という届けをするのが例であった。祭日には神官の土俵開きの祝詞の式が終わると、小組から化粧廻しをつけて順次土俵入りをし、藩主は重役を随えて幔幕(式場や会場などで、まわりに張りめぐらす幕)を張りめぐらした高桟敷で上覧する。これが終われば、子ども一同に「竹に雀」の扇一本を賜るのが例であった。

終了後、普通相撲を始めた。これも他所と異なり、すべて三番勝負、その勝者に賞品を与えた。翌二日、子どもは祭事係、相撲世話人の付添で御礼参りといって、また町内を一巡し、庄屋の家へ行って、あらかじめ設けてある敷物の上で、土俵入りの形をしてこれで終わることになった。

土俵は「蛇の目の辻」という珍しい形をしており、江戸時代中期の名力士・雷電為右衛門もここで相撲を取っている。今日でも子どもたちが立派な化粧まわしをつけて市内を練り歩き、土俵入りをした後、熱のこもった取り組みを披露する。

現在は9月の第一日曜に開催されている。

小諸八幡宮敷地内で子供たちが八朔相撲をとっている写真
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更新日:2019年03月28日