小諸城建物絵図

こもろじょうたてものえず

小諸城建物絵図

指定項目

小諸城建物絵図

二之丸、二之門、同番所、水矢倉、籾倉、太鼓矢倉、中仕切門

所在地

小諸市相生町三丁目3番3号

所有者及び管理者

小諸市教育委員会

指定年月日

昭和48年12月11日(市重要有形文化財)

指定番号 1-2

概説

長享元年(1487年)、大井光忠が鍋蓋城を築き、その後光為が父光忠の遺志をついで、乙女坂に支城を築き乙女城(又は白鶴城)と称した。現在の小諸城跡二の丸の地がこれにあたる。

天文12年(1543年)、武田信玄はこの地を攻略、佐久統治の中心として新たに築城。天正10年(1582年)、武田氏から織田氏になり、後、徳川家康に属し、天正18年(1590年)、仙石秀久が入封して大いに城内外を整備した。その後は松平、青山、酒井、西尾、石川の大名が封じられ、その度に修築が加えられた。

元禄15年(1702年)、牧野康重が入封して以来牧野氏が10代、168年相次ぎ明治に至った。

本絵図はこれらの変遷の中で、甲良門葉大匠棟梁石倉芳隣が宝暦3年(1753年)、小諸城建物絵図として精密に記録したもので、下記の図が残されている。

  • 二之御丸指図 百六十分一
  • 二之御丸平面図 百分一之図
  • 二之御丸御玄関、御台所、二之御門、番所 五十分一之図
  • 二之御丸御書院、御矢倉、御氷餅晒所並塀東向 五十分一之図
  • 二之御丸御矢倉、御座敷、水矢倉、御城米蔵並塀 五十分一之図
  • 二之御丸御部屋 二十分一建地割
  • 太鼓矢倉 二十分一

二の丸の建物について従来は想像していたのみであったが、この絵図により建物とその環境や築城の有様、その中の建物の配置、当時の建築の様式を一目瞭然に知ることができ、今後の小諸城の研究に大切な資料である。

御氷餅晒所

寒中にさらして凍らせた餅、かきもちを乾燥させる建物。小諸藩では、折々御氷餅を将軍家へ献上した記録も残っている。この建物で、献上品の「かきもち」を作っていたことであろう。

小諸城建物絵図の写真
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長野県小諸市相生町3丁目3番3号
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更新日:2019年03月28日