小諸城三之門
こもろじょうさんのもん 小諸城三之門
指定項目 | 小諸城三之門 |
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所在地 | 小諸市丁字三之門内311 |
所有者及び管理者 | 懐古神社 |
指定年月日 | 平成5年12月9日(国重要文化財) |
概説
三之門は現在、懐古園の玄関口にあたり、二層、寄棟造、瓦葺の門で、両柚での塀には矢狭間・鉄砲狭間が付けられている。
両側の石垣の上に上層部が渡されている渡り矢倉(多聞矢倉)と呼ばれるものである。石垣の積み方も、本丸や他の郭(近世の城では丸と呼ぶ)のような自然石の石積み(野面積)でなく、一つひとつ加工された切込みはぎの石積みによって築かれている。したがって、慶長期の築城当時の面影を残す大手門のような豪壮さは見られない。
寛保2年(1742年)の「寛保の戌の満水」と呼ばれる大洪水により流失し、現在のものはそれ以降、おそらく明和2、3年(1765、1766年)頃の再建と考えられている。
なお、宝暦年間(1751~1763年)の城郭絵図では入母屋造、柿葺となっている。寄棟造、瓦葺となったのは、明治時代中頃の改築によるものではないかと考えられる。
門の正面には、徳川家達(徳川宗家の相続者で、貴族院議長、日本赤十字社長などの重職にあった)の筆による「懐古園」という扁額(横に長い額)が掲げられている。
矢狭間・鉄砲狭間:城の塀や櫓などに設けた、中から矢を射るための小窓が矢狭間で、鉄砲を撃つための小窓が鉄砲狭間である。

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更新日:2019年03月28日