令和2年度第1期「小諸ふるさと遺産」を認定しました
地域で大事に守り伝えられてきたもの、地域のシンボルなどその歴史的、文化的価値にかかわらず、後世に残していきたいものを「小諸ふるさと遺産」として、小諸市教育委員会が以下の通り認定いたしました。
認定された小諸ふるさと遺産の所有者には、小諸ふるさと遺産認定プレートを交付するほか、『小諸ふるさと遺産集』として冊子にまとめ、教育委員会の文化財・生涯学習課の窓口で配布します。
なお、本事業は、長野県地域発元気づくり支援金を活用しています。
認定 番号 |
ふるさと遺産の名称 |
認定内容 |
地区 |
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No.2001 |
天王社跡に建てられた元宮 |
東山道の清水駅(しみずのうまや)東側にある2基の祠は、天王社の元宮と呼ばれています。 慶長の頃(1596~1614)、小諸城主の仙石秀久が城下町の整備を行った際、清水駅付近の民家は、北国街道沿いの現在の市町周辺へ移り住むこととなり、同時に天王社も市町問屋場の西(現在の地)へ移されました。 氏子の皆さんは、かつてあった場所に祠を建てて今も大切にしています。 |
西 部 |
No.2002 |
日向吉次郎の記念碑 |
日向吉次郎(1851~1920)は、明治の頃の謡曲の師匠です。7歳の時に喜多流の能楽師・日向家の養子となり、江戸幕府の滅亡後、諸国を流浪して小諸に来ました。 丸萬製糸場で釜炊きをしていた際、宴席で喜多流の謡曲を披露したところ、その場に居合わせた人々を魅了しました。その後、赤坂で謡曲の師匠として300人余りの弟子に指導しました。 死後、大正11年(1922)に弟子たちが光岳寺に建てた記念碑の文は、島崎藤村によって書かれたものです。 |
東 部 |
No.2003 |
小諸紬 (信州紬) |
小諸紬は、主には養蚕農家の自家用として生産されました。その販売は消費者や呉服小売店と直結した流通体制で、市内には工房が数軒程度でした。 小諸紬の特徴は、くず繭を草木で染めた手つむぎ糸により平織りされた絣(かすり)模様または縞(しま)模様で、経済産業大臣が指定する伝統的工芸品の「信州紬」のひとつです。 |
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No.2004 |
学童集団疎開の碑 |
太平洋戦争の末期に、成就寺(じょうじゅうじ)へ集団疎開した東京都杉並区の大宮国民学校(現・杉並区立大宮小学校)の卒業生が、平成16年(2004)に建立した碑です。 碑には、地元住民への感謝と二度と悲惨な歴史を繰り返さないとの願いが刻まれています。 |
中 部 |
No.2005 |
「アヽありがたきかな此の水」の碑 |
昭和49年(1974)、県営御牧ケ原農業水利改良事業及び団体営事業のしゅん工を記念し、建立された碑です。 御牧ケ原台地は、良質の米が収穫できる一方、水源が乏しく、開拓の始まった江戸時代以来、雨水を大小約400の溜池に貯えて利用していました。 碑に刻まれた「仮令(たとい)一滴の水と雖(いえど)も金水(こがねみず)と心得て」の言葉が、地域の人にとって、「水」がどれほど大切であったかを伝えています。 |
川 辺 |
No.2006 |
小諸消防署に保存されている竜吐水(りゅうどすい)と玄蕃桶(げんばおけ) |
竜吐水、玄蕃桶は、江戸時代後期から明治期に使用されていたといわれている消火用具です。 竜吐水は手漕ぎで放水する用具、玄蕃桶は竜吐水等で使う消火用の水を入れた大きい桶です。 このよう消火用具は、江戸時代後期には小諸藩の城下4町に配備されていました。 昭和30年(1955)頃に動力ポンプが配備されるまでは、このような人力による消火用具が中心として活躍していました。往時の住民による自衛消防活動の様子がしのばれます。 |
中 部 |
No.2007 |
御影用水 |
御影用水は、軽井沢町の千ヶ滝を水源とする上堰(うわせぎ)と、白糸の滝(湯川)を水源とする下堰(したせぎ)からなる用水です。 江戸時代に入り、農業の生産量を増やすため農耕地の拡張が各地で進められ、1650年に上堰、1654年に下堰が開通しました。これにより新田開発が進み、御影新田村が成立しました。 1971年に千ヶ滝農業水利改良事業により施設の近代化が進められ、現在も小諸市御影用水管理委員会及び千ヶ滝湯川用水土地改良区により大切に管理されています。 用水は、市内のみならず、軽井沢町、御代田町、佐久市へも水を供給しており、浅間山南麓地域の農業・地域の発展に貢献しています。 |
南大井 |
No.2008 |
「柏木小右衛門生誕之地」の碑 |
柏木小右衛門生誕之地の碑は、御影用水を開削した柏木小右衛門(かしわぎ・こえもん)が誕生した地を記念して子孫により建立された碑です。 小右衛門は、柏木村出身で父・柏木才十郎と親子2代にわたり計画を練り、慶安3年(1650)に小諸城主の青山宗俊(あおやま・むねとし)から新田開発の許可を得て、私財を投じて用水を完成させました。 |
北大井 |
No.2009 |
菱野小唄 |
全国的に新民謡が流行した昭和初期の昭和8年(1933)に野口雨情が菱野温泉に滞在し、後日「菱野小唄」を発表しました。14首の歌詞からは、山の谷間の自然豊かな温泉地の様子が伝わってきます。 昭和62年(1987)には、地元有志が野口雨情との縁を大切にしたいとの思いから野口雨情の会を結成し、毎年、雨情の命日前に「雨情忌花と童謡をささげる集い」を開催しています。 |
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No.2010 |
江戸幕府二代将軍徳川秀忠ゆかりの下馬札 |
海應院(かいおういん)にある下馬札は、徳川秀忠がそこに来たときに使われたといわれています。 慶長5年(1600)、徳川秀忠は関ヶ原へ向かう途中、真田昌幸と合戦となり小諸城に留まりました。 『小諸砂石鈔』という書物には、昌幸の家臣の日置五右衛門(ひおき・ごえもん)が海應院に来て、秀忠との和睦の仲介を申し出た、と記されています。それで、秀忠が海應院へ訪れたと言われています。 |
東 部 |
No.2011 |
小原六道地蔵 |
小原区六道原にある7体の地蔵尊です。 中央の地蔵尊の肩に傷があり、地域では古くから「身代わり地蔵」と呼び、親しまれています。 言い伝えによると、体の悪い部分に小麦粉を塗り付け祈願すると不治の病や外傷も治ると言われています。 毎年7月23日には、地域の住民が集まり、地蔵盆(宵祭)が行われています。 |
東 南 部 |
No.2006 小諸消防署に保存されている竜吐水と玄蕃桶

No.2011小原六地蔵
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更新日:2021年09月14日