「小諸ふるさと遺産」を認定しました(平成30年度第2期)

 地域で大事に守り伝えられてきたもの、地域のシンボルなどその歴史的、文化的価値にかかわらず、後世に残していきたいものを「小諸ふるさと遺産」として、小諸市教育委員会が以下の通り認定いたしました。

 認定された小諸ふるさと遺産の所有者には、小諸ふるさと遺産認定プレートを交付するほか、『小諸ふるさと遺産集』として冊子にまとめ、公共施設や観光案内所の窓口で配布します。

平成30年度第2期認定遺産

認定

番号

ふるさと遺産の名称

認定内容

地区

No.1816

大谷石造の2階建ての倉庫

1919年に設立された佐久蚕種株式会社で使用されていた大谷石造の倉庫です。蚕種(蚕の卵)を保存していました。
建設当時は100m程東側にありましたが、現在の場所に移築され住居として使用されていました。

東部

No.1817

まる原(まるはら)白いも 御牧ヶ原台地特有の粘土質土壌で栽培された、白くて肌が滑らかで美しい優れた品質の馬鈴薯です。
この馬鈴薯を一口で表現でき、かつ商品性を高めるために、「白いも」と命名されました。
1960年8月より、御牧ヶ原台地の馬鈴薯は、全て「まる原(まるはら)白いも」の銘柄で統一され、出荷されています。
川辺

No.1818

三岡の桃(浅間水蜜桃) 小諸市の桃栽培は小諸義塾の校長だった木村熊二が、三岡地区が桃の栽培に適していると推奨し、1896年頃から始まりました。
塩川伊一郎氏が台木を育成し、増やしていった苗を「浅間水蜜桃」と名づけました。東京に販路を求め、農村の生活を豊かにし、缶詰産業・ジャム作りにも発展しています。
三岡

No.1819

御牧いちご 「御牧いちご」は御牧ヶ原一帯で栽培されていたいちごで、その起源は室町時代からと言われています。
この地域はいちご栽培に適した風土であり、戦前から戦後にかけて「御牧いちご」の生産が広まりました。
現在、「御牧ケ原1号」、「御牧ケ原2号」といったいちご原種が、栽培保存されています。
川辺

No.1820

ひしの南蛮

「ひしの南蛮」は1943年頃、菱野地区の住民が朝鮮半島から持ち帰った種をまいたことから栽培が始まったと言われています。
現在も交配を避けるため、専用の畑で種から栽培されています。
成熟する前に収穫するため、果肉が薄く柔らかく、種やヘタまで全部食べることができます。
大里

No.1821

そら南蛮 名前の由来は、空に向かって実を付けることから「そら南蛮」。
来歴は不明ですが、明治時代にはすでに耳取地区で栽培されていたと言われています。南蛮なのに辛みはなく、果肉は薄く、甘くてみずみずしいため、種が付いたまま食べることができます。
細長く成長するので、地元では別名「甘長南蛮」とも呼ばれています。
三岡

No.1822

湯治と交流の場[菱野温泉] 古くは菱野鉱泉と言われ、起源は中世より古く、江戸時代から湯治場として利用されていました。
薬師堂参拝と湯治に東信地域のから多くの人々が訪れ、年齢、男女、職の違いを超えて、交流の場として大いに発展しました。
近代に入ると、野口雨情や臼田亜浪、丸山晩霞、中山晋平などが宿泊し、菱野小唄がつくられるなど、小諸の近世文化の一翼を担う温泉地です。
大里

No.1823

八十八夜と高津屋神社 高津屋神社は、1872年に浅間山の火山活動を鎮撫するため、中世高津屋城跡に、浅間神社を安置したことから始まります。
現在では、例大祭が行われるほか、八十八夜に地域の子どもたちが造った御神燈を奉納し、五穀豊穣を祈っています。
中部

No.1824

六供無縁堂(戌の満水)

戌の満水は、1742年(寛保2年戌年)8月に千曲川・犀川流域に起こった大水害で、小諸では旧暦8月1日に、六供、本町、田町、袋町、さらには小諸城三之門なども流失する大災害となりました。小諸城下では、507名の死者を出しました。
六供無縁堂は、死者の御霊を供養するとともに、災害復興を記念して1754年8月1日にこの地に建立されました。

中部

No.1825

柏木の阿弥陀堂と阿弥陀如来像 阿弥陀堂は1736年後頃、一庵が建立され、1846年(弘化3年)に再建されたと伝わっています。
1872年には柏木阿弥陀堂第八十八番小学校止善学校としても使用されました。
阿弥陀如来像は行基の作と伝えられ、脇侍に善導大師、園光大師を祀っています。永く会津城主蘆名家の守り本尊として祀られてきました。故あって、越後高田藩、与板藩、小諸藩主の牧野家菩提寺泰安寺に移ったが、1846年に柏木村へ下賜されたとされています。
北大井

No.1826

蚕影様 蚕影様は主に群馬県・長野県・山梨県で信仰される養蚕をつかさどる神です。
柏木阿弥陀堂境内に蚕影神社があり、1924年に蚕影様を祀る塔を再建した記録が残っています。
柏木での蚕影様の発祥時期は不明ですが、現在でも毎年5月3日に米粉で作った繭玉を配り、五穀豊穣を祈っています。
北大井

No.1827

ねんぼう岩 高峯山と黒斑山ができた約10万年前と同時期に形成された地形が、その後長い年月をかけ自然の力より浸食され、現在の形になったといわれています。
頂上には、武蔵坊弁慶の金の茶釜が置かれているとの伝説が残っています。
西小諸

No.1828

小諸発電所旧第一調整池跡 小諸発電所の調整池として1927年に完成したバットレスダムです。
バットレスダムとは水圧を受ける止水壁を鉄筋コンクリートの扶壁(バットレス)で支える方式のダムのことです。
この方式のダムは日本では8基だけ建造され、6基が現在も残っています。
東南部

No.1829

浅間登山元標 1920年(大正9年)に、浅間山登山の出発地点として設置された元標です。ここから、浅間山山頂まで、3丁(約327m)ごとに、道標が設置されました。
設置当時の登山道は元標から山頂まで、3里29丁(約14.9キロメートル)と伝えられています。
東部

No.1830

旧布引電気鉄道布引橋脚 1919年に計画され、1926年に小諸、島川原間の運行を開始した布引電気鉄道の橋脚。
1934年の運行停止まで使用されていました。
千曲川を横断するため、4本の橋脚が立っており、その上を単線の線路が通っていました。
12トンを超える2種類の電車が、1日に18往復していました。
西部
大杭橋の写真

大杭橋

押出しの桜並木(旧布引鉄道軌道跡)の写真

新町の三大桜名所 押出しの桜並木(旧布引鉄道軌道跡)

この記事に関するお問い合わせ先

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長野県小諸市相生町3丁目3番3号
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更新日:2021年03月01日