第21回小諸・藤村文学賞 高校生の部最優秀賞

私の体と気持ち

高崎健康福祉大学高崎高等学校1年 関本真希

 この夏、私は手術をした。体も心も切り裂かれ、打ち砕かれるような大手術を受けたのだのだ。

 全く、私は油断していたのだ。その病は、ひたひたと私の日常の中に入り込み、いつの間にか音もなく私の体を蝕んでいたのだのだ。

 始まりは、三年前の三月のことだった。中学入学を目前に控えていた私は、制服の採寸をするために洋裁店に来ていた。突然、鏡に映る私の姿を見ていた母が訝しげに言ったのだ。

 「真希ちゃん、肩の線と腰の位置が随分ずれているねえ…。なんか、変だよ」

 中学校入学後、最初の健康診断では「異常なし」。私はホッとした。しかし、母はしきりに首をひねって

 「そんなことないよ…」

と言う。近くの整形外科に行くことになった。母の心配は的中した。

 「骨がねじれて曲がっていますねぇ」

 レントゲン写真は恐ろしいものだった。すぐに別の病院を紹介された。詳しい検査が必要だという。病院の玄関を一歩出ると涙があふれてきた。

 「私、病気なの?」

 私の体はどうなるのだろう。楽しみにしていた中学校生活は始まったばかりなのだ。

 紹介された富岡総合病院で検査。するとさらに詳しく調べる必要があると言って、医師は高崎にある脊髄センターに電話を入れた。

 脊髄センターで精密検査。私の病名は「突発性側弯症」と判明した。成長期の女子に多い病気だそうだ。そこで、清水先生に初めて会った。病名を告げられて泣きじゃくる私に先生は、

 「泣かなくていいんだよ。真希ちゃんが悪いんじゃないんだ。遺伝子の中には曲がってしまうのがあってね、側弯症は曲がってしまう遺伝子のせいなんだよ。もう全部わかったから、大丈夫だよ」

 と優しく言ってくれた。けれども、最後の一言は、私の心に突き刺さった。

 「もう少し早く病院に来てくれれば、手術はしなくて済んだかもしれないけどね」

 遅かったんだ…。どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。いったい、いつの間に私の体は蝕まれたのか。原因は遺伝子。そうわかったところで何になるのだろう。ねじ曲がってしまったこの体はどうなるのだろう。黒いマントを着た何者かが、私の背中でニヤリと笑った。

 それからの日々は地獄だった。昼間は普通に学校に行き、夜間はコルセットをつける生活が始まったのだ。夜、入浴を済ませると苦痛の時間がやってくる。私は床に寝て、母がコルセットの金具を締める。母が金具を回すたびに襲いかかる激痛。目の前の闇に火花が散る。ただただ耐えるしかない…。夜の闇は底のない深さだった。

 手術は延期され、コルセットを付ける生活は三年も続いた。私は、もうそれまでの私ではなくなってしまった。金属をまとった別人なのだ。昼間、友達と笑顔はしゃいでも、夕方になれば心を失ったサイボーグなのだ。そのうちに、昼間笑顔を作ることも嫌になった。だんだんと私の心も金属の鋼に閉ざされていった。冷たい金属の金具なしに生きることは許されない、機械仕掛けの人形なのだ。私には呼吸する自由もないのか。怒りがこみあげ、どこへぶつけたらいいかわからない。黒いマントの悪魔がささやく。学校では、先生の気を引こうと、わざと悪い事をやってみせた。家でも好き勝手だった。どんどん嫌な自分になっていった。私は歪んだ遺伝子を持っているのだ。みんな遺伝子が命じるのだ。冷たい氷の海の深い深い底に、私のそれまでの日常は沈んでしまった。

 高校一年生になった。そして、この夏ついにその日はやってきた。手術を受ける時だ。想像しただけで怖い。手術のために三回自己血を採取。私の血液が管を流れていくのを静かに眺めた。静かに着実にやってくるその日を思うと、恐怖心に眠れない。

 私の高校の野球部が甲子園出場を決めた翌日、私はひっそりと入院した。清水先生は、

 「一年後に、ありがとうと言ってもらえるように頑張るよ」

 と約束してくれた。

 全身麻酔をかけたら、背骨の一部に短い針金を刺して、レントゲン写真を撮る。背骨の数を確認する。脊髄を一個一個ばらばらにして金属の器具で支える。背骨全体がねじれ曲がっているため、肋骨が後ろに盛り上がっている。それを改善するために、三本の肋骨を切除。切り取った骨を砕いてすりつぶす。ペースト状になったものを、骨と骨の間に敷き詰めていく…。八時間にわたる大手術だった。

 手術後の三日間は熱にうなされた。麻酔が切れると激痛が襲ってきた。痛みとの戦い。自分の体が思うように動かない、もどかしい日々は続いた。

 手術から三か月たって、脊髄センターで自分の背骨のレントゲン写真を見ることになった。曲がった背骨の写真の横に、真っすぐになった現在の私の背骨の写真が並んでいた。真っすぐだ。本当に真っすぐになったのだ。うれしい。たまらなくうれしい。体じゅうから喜びが湧いてきて、頬が緩んだ。清水先生が微笑んでいる。父も母も笑顔だ。真っすぐな背骨とともに、真っすぐな心をも獲得した思いがした。

 長い闇は終わったのだ。手術して治ったのは、背骨だけではないことに、今気づいている。私の体が歪んでいた時、私の心も歪んでいた。心の底から楽しいと思えることは、何もなかった気がする。今は本当にうれしい。毎日が楽しい。清水先生にも、家族にも、そして私の闘病中に亡くなった祖母にも、感謝の気持ちでいっぱいだ。多くの人たちの支えによって私は生きているのだ。今はまだ、行動には制限のある生活を強いられているけれども、私はきちんと前を向いて生きていきたいと思う。真っすぐな背骨で、胸を張って前進したい。そして、今度は私が、誰かのためになれることを、探していこうと思うのだ。

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平成27年7月8日

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更新日:2019年03月28日