藤村と小諸

小諸に住んでいた頃の島崎藤村の写真

小諸時代の藤村

  • 明治32年(1899)4月上旬、旧師木村熊二の経営する小諸義塾に国語と英語の教師として赴任。5月3日、巖本善治の媒酌により函館の網問屋秦慶治の三女冬子と結婚、小諸町馬場裏の士族屋敷跡に新家庭をもつ。
  • 明治33年4月、『旅情』を文芸雑誌「明星」、『一小吟』を「文界」に発表。5月3日、長女緑が生まれる。8月、『雲』を「天地人」に発表。「物を見る稽古」として『千曲川のスケッチ』のを書き記し始めたのもこの頃。
  • 明治34年4月、小諸義塾に女子学習舎が併設される。(木村熊二宅使用)藤村は「土佐日記」「枕草子」等を講義。8月、第四詩文集『落梅集』を春陽堂より刊行。10月、学生を引率して、八ヶ岳の裾野を回り、甲府、諏訪方面への旅をする。
  • 明治35年3月31日、次女孝子が生まれる。11月『旧主人』『藁草履』を発表。
  • 明治36年1月『爺』を、6月に『老嬢』を発表。5月31日小諸義塾創立10周年記念祭挙行。8月、小諸小学校講堂で開かれた国民教育夏季講話会において「ハムレット」の話をする。
  • 明治37年1月『水彩画家』を新小説に、『椰子の葉蔭』を明星に発表。1月、丸山晩霞等と飯山町を訪ねる。4月9日、三女縫子が生まれる。7月『破戒』自費出版の援助を求めて函館の岳父を訪ね、400円の出費を頼む。10月15日、丸山晩霞等と志賀村に神津猛を訪ねる。12月『津軽海峡』を発表。
  • 明治38年3月4日、志賀村に神津猛を訪ね『破戒』完成までの生活費の恩借を頼みに行ったが言えず、翌5日付手紙で依頼し150円を借用する。3月、小諸義塾を退職し、小諸近郊の布引山釈尊寺で義塾講師等による送別会に招かれる。4月29日、6年間にわたる小諸生活に別れをつげ、家族と共に上京する。

連絡先

市立藤村記念館

電話

0267-22-1130

住所

小諸市丁315番地(懐古園内)
(4月~11月は無休・12月~3月は水曜休館・年末年始)

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電話:0267-22-1700 ファックス:0267-23-8857
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更新日:2020年04月01日