藤村記念館だより9

公開日 2014年03月21日

最終更新日 2017年10月05日

<藤村と関東大震災>

 3月11日(金)午後2時46分に起きた東日本大震災は、東北地方の太平洋

岸を中心にした未曽有の大災害で、地震・津波により建物の全半壊・焼失等の被

害は63万戸余り、死者・行方不明者は2万人を越えました。震災後6ヶ月が過

ぎた今なお、多くの皆様方が避難所生活を強いられている現状です。時をおかず

長野県でも栄村や松本市周辺で強い地震があり、建物の倒壊など大きな被害があ

り避難所生活を余儀なくされた方々がありました。

この度の震災で尊い命を失われた皆様方のご冥福をお祈りいたします。また、

被災された皆様方に心よりお見舞いを申しあげます。

飯倉片町の書斎にて(大正12年)

 島崎藤村も麻布飯倉片町に住んでいた

大正12年9月1日、関東大震災に遭遇

しました。午前11時58分、相模湾沖

80kmを震源としたマグニチュード

7.9の大地震でした。藤村の記述によ

ると、この震災は地震により建物の倒壊

もさることながら、折しも昼餉時で都内

11カ所から火の手が上がり、東京の下町のほとんど全部をやきつくしました。

住宅の全半壊・焼失は42人6千戸余り、死者・行方不明者は10万5千人を越

えるという前代未聞の大災害となりました。藤村は、それまで経験したことのな

い激震と迫り来る火の手から命からがら逃れ避難生活をしました。飯倉片町1丁

目までは焼失しましたが、幸い飯倉片町の震災で炎上する日比谷付近藤村の住居は被災を免れ、震災後7日

目に避難先から自宅に帰ることができ

ました。

 あらゆる交通手段・電信・郵便が断

絶し、安否を心配する身内、殊に長男

楠雄氏への連絡が取れず大変に困った

ようです。三週間後の楠雄氏への手紙

の中で、こんなことを書いています。「今後お前が再び見得る日の東京は、以前

の東京ではないだらう。お前の眼にある東京の三分の二は、今は殆ど昨日の面影

を止めない。この大自然の破壊に面しては、眼もくらみ胸もつぶれるばかりだ。

さう言えば、今日は九月の二十一日だ。激震のあった日から最早三週間目だ。あ

けがたから降り出した寒い雨は、着のみ着のまゝで焼け出された多くの避難者の

こゝろぼそさを思はせる。この秋雨の降りそゝぐ中で、焼跡に折れ残された建築

物や橋梁などを爆発させる音が私の家の障子に響いて居る。私は激震と大火との

当時にもまさって、一日は一日としてこの悲惨に胸を打たれることが多くなっ

た。」と震災後の東京の変わり果てた様子と自身の気持ちを述べています。

このたびの東日本大震災の惨状と情景が重なってきます。関東地方はその後め

ざましい復興を遂げ、また、太平洋戦争による大空襲の被害からも見事に立ち直

って、今日の繁栄を築いてきました。東日本大震災に遭われた東北地方が、関東

大震災後のように一日も早い復興を遂げることを心より願います。(芦)

 参考文献;「藤村全集 第九巻、拾遺 『楠雄に』」、筑摩書房版、昭和42年。