藤村記念館だより7

公開日 2014年03月21日

最終更新日 2017年10月05日

<藤村が音楽学校で学んだ日>

 明治30年7月、仙台の東北学院を辞して

東京音楽学校本館および奏楽堂

帰京した藤村は8月29日に「若菜集」を春陽

堂から出版する。そして9月、高等師範学校附

属音楽学校選科(東京音楽学校・現東京芸術

大学)に入学した。藤村記念館を訪れたお客様

の中には、藤村が音楽学校で学んだことを意外

に思われる方が多くおられます。

 この藤村の音楽学校入学の時期については、明治31年4月入学と記述されているもの

が多い。ところが、「高等師範学校附属 音楽学校一覧 自明治三十年 至明治三十一年」

(1) によると、『島崎春樹』は明治30年9月には在籍している。学年暦によると、明

治30年度は9月11日に一学期が始まり翌年7月10日に三学期が終了している。そし

て、同書の第七章 生徒及卒業生姓名(九月三十日調)の中に「選科」の項があり、他の

4人の名前とともに『島崎春樹』の名前明治30年度音楽学校生徒姓名が記されて

いる。31年4月入学説は明らかに間違いというこ

とになります。また、「選科ピアノ科に入学」と書

かれていることも多いが、そういう科はありません

でした。

第六章 本校規則の第8、選科の第一條に『洋琴、風

琴、バイオリン、唱歌ノ中特に一科目若クハ二三科目

ヲ選ビテ学習セント欲シ入学ヲ願出ル者アルトキハ試

験ノ上選科生トシテ入学ヲ許ス』とあり、科目として

の楽器選択であったことがわかります。藤村はピアノ

を選択したということです。

 音楽学校へ入った目的は、『詩におけるリズムの新

しい探求、詩音楽との関係を考えることにあった』。

(瀧井敬子「歌人ピアニスト、橘糸重のこと」(2) )

 仙台から帰京した時期と音楽学校に入学した時期がつながり、翌年7月10日に学年が

終了し、7月中旬から恩人吉村忠道の子樹と共に姉その(園)のいる木曽福島の高瀬家で

一夏を過ごし、「夏草」を書いたことにもつながります。9月19日に木曽福島を発ち、

帰路小諸義塾の木村熊二を訪ねました(「力餅」・浅間の麓)。9月24日付の高安三郎

(月郊)あての手紙に、『この秋よりは音楽学校のかたも都合によりPrivateの研究とか

へ、一層読書紙筆に親しむつもりに御候』(3)と音楽学校での学びを終え、文学に力を入

れることを書いています。(芦)

参考資料;(1)「高等師範学校附属 音楽学校一覧 自明治三十年 至明治三十一年」,高等師範学校附属音楽学校,明治31年1月26日発行.

       (2)「歌人ピアニスト、橘糸重のこと」,瀧井敬子,平成13年11月藤村文学講資料.

      (3)「島崎藤村全集30 書簡集 上 」,島崎藤村,筑摩書房,昭和32年.