藤村記念館だより6

公開日 2014年03月21日

最終更新日 2017年10月05日

<「千曲川のスケッチ」の風景>躑躅と藤村記念館

  「古城の初夏」

『もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか』

という心で小諸にやってきた藤村は、『もっと事物を正しく

見ることを学ぼうと思い立ち』『いつ始めるともなくスケッチ

を始め、これを手帳に書きつけることを自分の日課のよう

にした』ことから「千曲川のスケッチ」が生まれました。

藤村が文章でスケッチした風景は、100年以上たった今で矢場を覆う欅や楓の緑

変わらないものがたくさんあります。これが藤村文学を味わう楽

しさでもあります。例えば、「千曲川のスケッチ」の中の「古城の

初夏」に描かれている懐古園内初夏の風景は今でもそのままで、

藤村が小諸にいた頃を偲ぶことができます。

『懐古園内の藤、木蓮(もくれん)躑躅(つつじ)牡丹(ぼたん)なぞは一時花と花が映り

合って盛んな香気を発したが、今では最早(もはや)濃い新緑の()に変

わってしまった。千曲川は天主台の上まで登らなければ見られ

ない。谷の深さはそれだけでも想像されよう。(中略)見晴らしの好い茶屋

 私たちの矢場を(おお)う欅、楓の緑も、その高い石垣の

上から目の下に()(おろ)すことができる。境内(けいだい)には見晴(みはら)

()い茶屋がある。そこに預けて置いた弓の道具を

取出して、私は学士と一緒に苔蒸

 

した石段を下りた。

 

 

 

静かな矢場には、学校の仲間以外の顔も見えた。』

 

 

 

(「千曲川のスケッチ」)苔蒸した石段

 

 

 

「私たちの矢場」は、旧南丸跡にある今の射院と違い、

 

 

 

当時は「紅葉が丘」にありました。だから天主台から見下

 

 

 

ろすことができたのです。「見晴らしの好い茶屋」は今の

 

 

 

山城館の場所で、当時は「酔月亭」と呼ばれていました。

 

 

 

「木村熊二日記」には、木村熊二や義塾の教師がこの

 

 

 

酔月亭で度々会合を開いていたことが書かれています。

 

 

 

「苔蒸した石段」は昔のままで、ここを下り始めると正面「私たちの矢場」跡

 

 

 

に矢場が見え、小諸義塾の先生方が弓を射る様子が

 

 

 

見えたと思われます。

 

 

 

こうして新緑の美しい古城の一角に佇んでいると、石垣の蔭から

 

 

 

藤村を始めとする小諸義塾の先生方や藤村作品の登場人物が

 

 

 

ひょっこりと現れそうな気がします。(芦)