藤村記念館だより4

公開日 2014年03月21日

最終更新日 2017年10月05日

<島崎藤村の結婚した日>

 島崎藤村が結婚した日は、多くの方々が「明治32年4月下旬」としています。藤村に師事した作家で染色家の山崎斌は、「先生は(4月に赴任した)その月末に、北海道函館の人、秦冬子と結婚した」(1)と書いています。島崎藤村4月末結婚というのは、この辺が出発点でしょうか。また、小諸義塾で教えを受けた林勇は、「四月下旬、明治女学校長の巌本善治の紹介により結婚」(2)としています。林は、『島崎藤村事典』(3)の「島崎冬子」の項も執筆しています。小諸市立藤村記念館で作成した「藤村年譜」でも、「四月下旬、巌本善治の媒酌により、函館の網問屋秦慶治の三女冬子と神田明神境内開花楼で結婚」としています。

 ところが、昨年4月の藤村文学講座で講師の千葉宣朗先生から、新たな資料をもとに、「藤村の結婚は、明治32年5月3日であった」とのご紹介がありました。資料は父親の記録帳「秦慶治『手控え』」(4)で、三女フユに関係する記述の中に、「明治丗二年五月三日年越廿ニ才ノ時 東京島崎秀雄ノ末弟島崎春樹廿八才ノ時フユ嫁ス 直ニ信州小諸町馬場裏ニ住居」とあります。小説『家』には、父は結婚式には出席していませんが、母と兄が函館から出向き出席したとあります。連絡を取り合い日を決め遠く函館から駆け付けるのですから、この日に結婚式を挙げたのは間違いないと思われます。

 ところで、明治32年5月3日は水曜日でした。小説『家』では、「婚禮のあった翌日」は兄達の所に挨拶に行き、昼食は洋食屋に行っている。また、夕方には「曽根(モデルは音楽家・橘糸重)」の家を訪ねている。「翌々日の午後」、東京を発つため、「三時頃には、夫婦は上野の停車場へ荷物と一緒に着いた」。 「暗くなって三吉夫婦は自分等の新しい家に着いた。汽車の都合で、途中に一晩泊って、猶左程旅を急がなかった為に、復た午後から乗ってきた。(中略) 書生が待って居た。斯の書生は三吉が教へに行く学校の生徒であった。『明日は月曜ですから、最早それでも御帰りに成る頃かと思って、御待ち申して居ました』と書生はお雪に挨拶した後で言った」。

 この記述通りだとすると、藤村夫婦は5月5日(金)の午後東京を発ち、その日は途中で一泊。5月6日(土)は宿泊先から午後の汽車に乗り、その日の夜小諸に着いたことになります。しかし、書生の言葉に、『明日は月曜日』とあるので、小諸に着いたのは5月7日(日)ということになります。挙式が5月3日ならば、空白の一日はどうしたのでしょうか。小説だからと言われればそれまでですが。(芦)

参考資料: (1)『藤村の歩める道』,山崎 斌,大正15年,弘文社.

      (2)『小諸時代の島崎藤村』,林 勇,昭和48年,信濃路.

(3)『島崎藤村事典』,伊藤一夫編著,明治書院,昭和47年.

 (4)「秦慶治『手控え』」,千葉宣朗氏提供による