藤村記念館だより3

公開日 2014年03月21日

最終更新日 2017年10月05日

<小諸義塾創始者木村熊二の来信の経緯>

 木村熊二 

 島崎藤村が恩師木村熊二の要請により、明治32年4月に小諸義塾の国語と英語の教師として「山の上」の小諸町にやってきたのはよく知られているところです。木村熊二の信州入りについては、「代議士早川権弥に連れられて信州にやってきた」といろいろな方が書いています。ところが、キリスト教史の研究者である元清泉女学院短大教授の北原明文氏より、早川権弥との親交は信州入り後のことで長野県南佐久郡に来たのは同郡川上村出身の事業家(東京府下大崎=現品川区大崎、長野県南佐久郡臼田村で牧場を経営していた)上田龍雄(しげお)の影響によるところが大きい、とのご教示を頂きました。

 北原氏の論文および「木村熊二日記」によると、明治21年3月21日、高輪台町教会の牧師をしていた木村が築地新栄教会青年会の懇談会に外国人宣教師の通訳として出向き、同教会青年会の書記をしていた上田と知り合う。以後、牧師と信者を超えた親交が続く。木村日記には「上田」「上田龍雄」の名が頻繁に登場します。一方、上田は明治21年8月に故郷南佐久郡の臼田村に他の信者と共に佐久基督教講義所(現佐久市臼田の佐久教会)を設立した。しかし、定住の牧師がおらず岩村田・小諸の講義所と歩調を合せ、南・北佐久地方に定住牧師の招聘を求めていた。妻・長男の所業や自身の病気のため苦悩の日々が続いていた木村が転地療養を考えていたところに、上田や築地教会牧師の石原保太郎(南佐久に度々伝道に来ていた)の勧めがあり、明治25年1月17日、臼田講義所を中心に伝道のため信州入りしたのだった。木村日記の早川権弥(臼田講義所の会員)の初出は、翌1月18日である。    (芦)

 参考文献;「明治中期の基督教青年会活動-上田龍雄日記と木村熊二-」,北原昭文,国史談話会雑誌.

 校訂増補「木村熊二日記」,東京女子大学比較文化研究所編,2008.

<「藤村の旅路」島崎古巡水彩画展 3月18日~5月15日>

藤村の旅路展

 藤村の次兄広助氏の曾孫古巡島崎博氏は、カナダ・レスブリッジ大学で地理学の教授を務め、現在は同大学名誉教授。地理学の観察と分析の手段として水彩風景画を嗜み、世界各地で個展・グループ展を開催。このたび出版された画文集「藤村の旅路」(郷土出版社)は、「旅人」藤村ゆかりの地71箇所を絵と文にしている。今回はその中から小諸義塾・馬場裏旧栖などの原画25点を小諸高原美術館で展示致します。藤村の足跡を偲び、素晴らしい水彩画の世界をぜひご鑑賞ください。

 (小諸高原美術館・電話0267-26-2070)