藤村記念館だより2

公開日 2014年03月21日

最終更新日 2017年10月05日

<島崎藤村と宮口しづえ>

  宮口しづえ

 児童文学者・宮口(赤羽)しづえが松本女子師範学校在学中(大正12年6月)に講演を聞いた島崎藤村に心酔し、卒業後の赴任先に島崎藤村のふるさとにある長野県西筑摩郡神坂小学校を強く希望した、というのは有名な話です(松本女子師範における島崎藤村の講演のことは、小説「三人」にも書かれています)。

 昭和3年5月、島崎藤村の講演会が神坂小学校で開かれ、教師2年目の赤羽しづえも会場で聞きました。この時のノートに書かれた藤村の言葉、「血につながるふるさと 心につながるふるさと 言葉につながるふるさと」は、馬籠の藤村記念館の入口に飾られています。神坂村の宮口菊雄と結婚、夫の死後、「島崎藤村全集」の編纂に関わる。この縁で、書きためていた童話が世に出る。松本女子師範学校の恩師で国立国語研究所長西尾実(妻は小説「三人」のモデル百瀬春江)の尽力で、『ミノスケのスキー帽』を筑摩書房から出版。その後、『ゲンと不動明王』(稲垣浩監督により映画化された)、『ゲンとイズミ』が次々と出版され、童話作家としての地位を確立した。

 この宮口しづえが小諸市(当時は北佐久郡小諸町)の出身ということを知る人は少なくなりました。教育者である父赤羽威太郎、母こうの二女として明治40(1907)年9月2日に小諸町袋町に生まれました。父威太郎は明治35年より小諸小学校(現在の小諸市役所の位置にあった)に赴任し首席訓導を務めました。母松田こうも同年同校に赴任し、やがて二人は結婚。三男二女が生まれています。母こうは、明治45年教育功労者として長野県教育委員会から表彰されるほどの優れた教育者でした。赤羽夫妻は、明治32年4月から明治38年4月まで小諸に在住した島崎藤村一家と親交があったそうです。しづえが生まれる前のことですが、幼い頃から「トウソン、トウソン」と藤村の名を聞いて成長したということです。

 さて、その赤羽家のあった場所は? と近隣の方々に尋ねていますが、未だ不明です。「おこもり」という作品の中で、家から停車場までの道順が書かれています。「家の前へ出て、赤坂という坂を右手にくだって、橋をわたり川にそってしばらく行くと、その道は線路ぞいになっています。」 今も昔のままの町並みで、この記述から推察すると現在の小諸市役所の敷地(袋町)内の赤坂の通りに近い辺りと考えられます。ご存じの方がおられましたらお教えください。

  参考文献;「明治大正小諸教育五十年史」;林 勇編,昭和33年

        「宮口しづえ童話名作集」;高橋忠治・はまみつお編著、2009年