藤村記念館だより1

公開日 2014年03月21日

最終更新日 2017年10月05日

<「『詠み人知らずの句碑』ってどこにありますか?」>

 新年早々来館されたご夫婦のお客様がこのような質問をされました。お話を伺うと、その方のお祖父さんが昔懐古園を訪れた折に詠んだ句が、「詠み人知らず」として懐古園内に句碑として建っているというので訪ねて来られた、とのことでした。

 懐古園内には「詠み人知らず」の句碑はなく、「旅人詠」の句碑ならこの記念館のすぐ近くにあります、ということをご紹介しました。その句碑は、武器庫横の竹藪の際にひっそりとある、草笛禅師句碑

                     

 「雲水乃                

  草笛哀し             

   ちくまが和           

    旅人詠」   がそれです。

                     

 揮毫したのは、昭和33年から亡くなる昭和55年まで、句碑が立つ辺りを「太陽山青空寺」として座禅をし、懐古園を訪れる人々に草笛を吹くなどして「修行」をされていた「草笛禅師」こと横山祖道師です。この頃に懐古園を訪れた方ならどなたでも、師の笑顔と師の吹く「千曲川旅情のうた」「椰子の実」「惜別の歌」などの草笛の音色が心に残っておられることと思います。

            

「草笛禅師」こと横山祖道師没後、師を偲んで出版された「草笛禅師 横山祖道 人と作品」(紀尾井書房・昭和56年)によると、「懐古園で修行を始めた直後の昭和33年5月、旅の立派な服装をした紳士に藤村碑の前で草笛を吹いてあげた。吹き終わって名詞をいただいたら、『山形県西置賜郡小国町 町長 今新策』とあった。この方が帰宅後、俳句を作って送ってよこした。『藤村記念館付 草笛の主』として。それには、『雲水の草笛哀し千曲川』ともう一つ『草笛に詩人(うたびと)は眠る古城かな』とあった。『千曲川』の方をとって『旅人作』として幾度か書にした・・・」とあります。 師の揮毫をもとに、有志の方々が没2年後の昭和57年4月25日に建立したのが件の句碑ということです。

 遠方より訪ねて来られたご夫妻のお話と一致いたしました。「旅人」であった横山祖道禅師の詠んだものと誤解されやすいこの句の経緯を、改めて認識することができましたことに感謝する次第であります。