小諸義塾の歴史と教師

公開日 2014年03月21日

最終更新日 2014年03月21日

小諸義塾の歴史

小諸義塾(小山周次画)

明治26年 耳取町で開校。

明治27年 校舎を大手門に移す、塾内に図書館を設ける。

明治28年 小諸町議会は補助金を可決。

明治29年 小諸駅南に塾舎本館建築。

明治30年 小諸義塾規則を定める。

明治31年 塾長木村熊二の書斎水明楼を建てる。

     木村熊二、井出静の発起により中棚鉱泉の発掘が始まる。

明治32年 私立学校令により県知事の認可がおり、私立中学校の教育課程を実施。

明治33年 小諸町議会補助金増額を求める。北佐久郡会も補助金300円を決議。

     塾舎平屋建て一教室増築。

明治34年 女子学習舎創立。

明治35年 丸山晩霞(図画)三宅克己の後任として赴任。

     義塾一教室増築。義塾修業年限を四年に改め、月謝1円と改訂。

明治36年 義塾十周年記念式を挙行。

明治38年 島崎藤村「破戒」執筆中であったが原稿を抱えて小諸を去る。

明治39年3月 小諸義塾閉塾。塾長木村熊二長野市に去る。

個性に満ちた教師たち

島崎藤村(1872~1943)

島崎藤村

明治32年4月、旧師木村熊二の招きにより英語・国語の教師として28歳で赴任する。

教師の傍ら第四詩集「落梅集」を刊行、その後自然主義文学に転じ「旧主人・藁草履・爺・老嬢・水彩画家」などを次々に発表する。

小諸の風土や小諸義塾生活を題材にした「千曲川のスケッチ」は当時の小諸の様子を生き生きと今日に伝えている。

三宅克己(1874~1954)

三宅克己

明治32年晩霞にひかれて来諸、図画教師として着任する。

明治大正にかけての水彩画の先駆者。丸山晩霞とも親交があり、義塾において島崎藤村とは絵画や文学の上でのよき友であった。

丸山晩霞(1867~1942)

丸山晩霞

小県郡弥津村の出身、養蚕農家の次男として生まれ、18歳で上京、水彩画を学び明治32年欧米に渡り、明治35年、三宅克己の後任として義塾教師となる。

日本水彩画研究所の開設に尽力する。水彩画家小山周次は塾生以来の弟子である。

鮫島 晋(1852~1917)

鮫島 晋

東京大学物理学科第一期卒業、東京物理学校(現東京理科大)の創設者の一人である。

明治28年小諸義塾の教師となり、数学・物理・化学などを教える。

ぼうようとして、物事に頓着しない性格で閉塾後も長く塾生に愛された。

藤村とも気心が通じ合い親交があった。

義塾の最後まで深いかかわりを持った教師である。

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