第20回小諸・藤村文学賞 中校生の部最優秀賞

公開日 2014年07月09日

最終更新日 2014年07月09日

私と屋代線

千曲市立屋代中学校三年 田中ひかる

 ガタンゴトン・・・・・。ガタンゴトン―。ゴーツ。毎朝、この音と振動で目が覚める。私の家の南側、猫の額ほどの庭をはさんだフェンスのすぐ向こうには、長野電鉄屋代線の線路が続いており、毎日決まった時間になると轟音と震動を連れて電車がやってくる。おまけに、あまりに近くを通過するので、うっかりカーテンを開けたまま着替えなどをしていると、電車からは丸見えになってしまうのだ。まったく。何ていうところに住んでいるんだ。ろくに乗客もいない電車なんだから、そのうち廃線にでもなればいいのに。私の屋代線に対しての印象は、そんな感じだった。

 ある日、何気なくテレビを見ていると、どうやら屋代線が三月末で廃線になるらしいということをニュースで知った。母などは

 「もう電車来ないなんて、寂しくなるね。朝、電車来なかったら寝坊しちゃうかもね。」

 などと言っていたけれど、私は「そうかな?」と思っていた。だってあの電車、うるさいし、乗客だって少ないじゃん。たまにぼうっと、屋代線に乗っている人の人数を数えるけど、多い時でも十人くらい、誰も乗っていないことだってある。廃線になるのも仕方ないな。それより、廃線になればこれからは、あの騒音に悩まされずにすむんだ。と、一人心の中で密かに喜んでいた。

 ところが、いよいよ廃線が近づいてくると、屋代線に乗る人が急に増えた。あのスカスカだった屋代線の車内が、満員すし詰め状態になっているのを見て、驚くと同時に「みんながいつも乗らないから廃線になっちゃうっていうのに、今さらみんなして乗ったって…」と思った。しかし、そう思う裏で、「まだこんなに利用者がいるのだから、屋代線廃線も、もしかしたら中止になるかも。」と、いつの間にか少し期待している自分がいた。

 とうとう三月に入った。今日も電車内は満員だ。いつもの轟音を聞きながら、「せっかくだから、最後に一度、乗ってみたいな。」などと考えていた。しかし、部活やら何やらでバタバタと忙しい中、なかなか機会もなく、結局一度も乗らないまま迎えた三月も末日。屋代線は最後の仕事を終え、その長い歴史に幕を閉じた。翌日からは、ここに住み始めてからずっと聞いてきた、あの轟音を聞くことはなくなり、静かな日々が始まった。

 廃線になってしばらくは、朝、「ゴーッ」の音で目が覚めないことに違和感を覚えていたが、静かになったことには喜んでいた。しかし、ある日ふと見ると、放ったらかしになっている線路が赤くさびているのが目にとまり、「もうこの線路を電車が走ることはないんだな。」と分かり、その時初めて「寂しい」と感じた。

 その後、鉄道設備の撤去は着々と進められていき、私はその様子を窓からながめた。最初は架線だった。次に鉄塔が撤去されると、視界の妨げになるものはなくなり、二階の部屋の窓からは、だだっ広いまっさらな空が視界に飛び込んでくるようになった。そしてついに、線路の撤去が始まった。赤くさびた線路が取り払われ、枕木も順々にはがされていった。そして撤去された線路や枕木が線路の脇に積まれ、砂利が残るだけの線路跡を見た時に、窓からの景色は、今まで慣れ親しんだものとは大きく様変わりし、すっきりとしてはいるが、物足りなさを感じずにはいられなかった。

 廃線からしばらく経ち、周囲も屋代線がなくなったことを特に気にもとめなくなってきたある日、車で出かけた時に、母がもとあった踏切のところでつい止まってしまい、

 「もう電車来ないのについ止まっちゃったあ。あはは。」

 と笑った。私も一緒に笑っていたが、ふと周りを見回すと、前の車も、その前の車も、後ろの車も。みんな電車の来ない踏切でつい止まってしまっていた。私たちの生活にすっかりととけこんでしまっていた屋代線と、その沿線に住むみんなとの目に見えない強い絆が、見えた気がした。

 雨の日も雪の日も、いつもうるさかった屋代線。風の日も雷の日も、いつも頑張っていた屋代線。なくなってしまってから「せめて一度だけでも乗っておけばよかったなぁ」とか後悔しても、寂しがってももう遅い。今はただ、あの轟音と振動を連れてやってくる屋代線に、もう一度会いたくてたまらなくなり、雑草の生い茂る廃線路に、つい目を向けてしまうのである。

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