第18回小諸・藤村文学賞 一般の部最優秀賞

公開日 2013年12月02日

最終更新日 2013年12月02日

五日間のお遍路

千葉県いすみ市

森水陽一郎

 コックの職を辞し、失業手当でしばらく食いつないでいた十年ほど前、ふいに隣に住む大家さんが訪ねてきた。

 娘さん夫婦と一軒家に暮らす、七十すぎのすらりと痩せたおばあさんだ。

 どうやらアパートの前にとめたバイクが、毎朝出かけることがなくなったので、心配して訪ねてくれたらしい。手にしたナイロン袋には、庭で取れたいくつかのイチジクが入っている。

 僕は礼を言って手土産を受け取り、すでに用意していた家賃の支払いを申し出た。しかしおばあさんは、「そんなのはいつでもいい」と言って、ふと物思いにふけり、僕にある提案をした。

 来月分の家賃のかわりに、私と一緒に歩くのを手伝ってくれないかと。

 くわしく話を聞いてみると、どうやら千葉のとある場所まで、五日ほどかけて歩いていくらしい。しかし何を目的に、どこに行こうとしているのかまでは教えてくれない。

 なんだか面白そうで、僕はすぐに承諾の返事をしたが、ただ一つ、気がかりなことがあった。季節が夏のさかりであったためだ。

「心配いらないよ。二ヶ月かけて四国のへりを歩いたこともあるんだから」

 その言葉どおり、出発当日、おばあさんはお遍路にも出るような白衣(びゃくえ)と、菅笠の格好で、手には金剛杖まで持っていた。そして僕にも、いくらか黄ばんだ、背中にたくさんの御詠歌が記された白衣と、ずいぶんと使い込まれた金剛杖を差し出した。

 それが四国であるのならまだいいが、出発地点は渋谷区の恵比寿だ。いったい何のコスプレなんだと、カメラを向けられるに決まっている。 

 しかしお供をするのなら、絶対に身につけなさいと聞かないので、僕はしぶしぶ、その黄ばんだ白衣を着込んで、色あせた紫の半袈裟を肩にかけ、ふくらんだリュックを背負ってさっそく歩き始めた。

 やはり予想どおり、朝の通勤で込み合った明治通り沿いの車列から、好奇のまなざしが次々に向けられ、ときには携帯電話のカメラが僕たちをとらえている。

 しかしおばあさんは、そんなものはロバにでも食わせておけとばかりに、すたすたと、それこそ「地に足のついた」力みのない足どりで、颯爽と歩道を歩いていく。

 無駄なおしゃべりは一切なく、芝浦ふ頭についてからも、迷いなくレインボーブリッジにずんずん進んでいく。そして脇の歩道を渡り始めてすぐ、ちらりと振り返り、

「ここではついちゃだめだよ、お大師さんが下で寝てらっしゃるから」

 と言って、手にした金剛杖の先をひょいと持ち上げた。

 もちろんお台場の海に空海がいるはずないだろうが、聞いてるこっちは不思議と嫌な気持ちがしない。もう五年近くお世話になっておきながら、おばあさんのことを何も知らなかったことに思い当たって、恥ずかしいような気にさえなってくる。

 やがて有明や新木場の倉庫群を横目に、ほのかな潮の匂いをかぎながら海沿いの道を歩き始め、巨大な観覧車が目印の、葛西臨海公園まで来たところで、その日はじめての休憩をとった。

 海からの風が心地よく、汗ばんだ首筋の熱をさらりと連れ去っていく。梅干しとおかかのおにぎりでガソリンを補給しながら、僕はふと、隣に腰かけるおばあさんが笑っていることに気づいた。

「まさか、これからミッキーマウスに会いにいくなんて、言い出さないですよね」

「私はかまわないよ、ほら、このとおり」

 そう言って、おばあさんは足をぴんとつっぱって、はだしの足指の花を咲かせてみせた。

 その日はそれから5キロばかり歩いて、無職の身では到底足が向かないような、浦安市街の高層ホテルに宿泊した。

 言われたとおり、最初に金剛杖の手入れをし、時間をかけて足のマッサージをし、さっぱりとした湯上りのおばあさんと二人、和食のレストランで(はも)の湯引きを口にした。

 おばあさんは女子ソフトボール選手のような食欲で、牛フィレ肉のステーキをぺろりと平らげ、抹茶のアイスクリームを二度おかわりした。 

 そして昼間のうっぷんでも晴らすように、おばあさんはとめどなく戦時中のころの話を次々にくりだし、唐突に「あーつかれた、寝る」と言い残して、またいつもの足どりで、すたすたと部屋に引っ込んでしまった。

 そうして翌朝からまた、一日におおよそ25キロほどの行程で、千葉市街、上総(かずさ)牛久(うしく)、養老渓谷と、徐々に街中から離れ、房総の森へと歩を進めていった。

 二日目にマメがつぶれ、三日目には雨に降られて散々だったが、それでもなんとか、人間機関車のようなおばあさんのあとに続き、ここぞとばかりに、アワビの地獄焼きや伊勢海老の味噌汁に舌鼓を打った。

 僕はもっぱら話の聞き役で、それこそ驚きの連続だった。

 まさかアパートのそばの渋谷川に、いくつかの死体が浮くほどひどい空襲を受けたなんて思いもよらなかったし、おばあさんが若いころ、平泳ぎの選手としてオリンピック候補になっていたなんて、もちろん考えもしなかった。

 なるほど、いくら旧車といえども、ガソリンタンクの容量が、はなから僕と違っていたわけだ。おまけに、週二回の「区民プール通い」というメンテナンスが、いまでもきちんとなされている。

 ただ、髪の毛だけは、ほぼ真っ白だ。白髪染めなんぞに頼ることなく、それはもう、いさぎよいと言ってもいい。そのかわり、肌はいまだにつやつやで、目じりのしわさえなかったら、六十代でも十分に通用しそうだ。

「しかしこの三日間、よくついてこられたね」

「目の前にぶら下がる人参の匂いに、つられたようなもんです」

 僕がそう言うと、おばあさんはサザエのつぼ焼きを手に、満足げに笑った。

「残り二日、でも実質明日が、最後みたいなもんだからね」

「結局、どこの寺にもまわらずじまいでしたね、お遍路なのに」

「それは明日のお楽しみだよ」

 そうして翌朝、どこまで行っても森の茂みばかりの、ぐねぐねと曲がりくねった坂道をのぼり続けた先に、その案内板は待っていた。

――清澄寺――

 おばあさんは案内板の矢印にそって国道を離れ、さらに急な坂道へと歩を進めていった。

 すでに15キロ以上は歩いているだろう。下着まで汗ぐっしょりで、日焼けした腕がふき出した塩で白く染まっている。

 やがて坂をのぼり切った先に、朱塗りの立派な山門があらわれ、そこからおばあさんは、いくらか前傾姿勢になって、見えない糸にでも引き寄せられるように進んでいった。

 あとを追って山門を抜けたところで、僕は思わず足をとめ、息を飲んだ。

 セミの鳴き声が響きわたる広い境内の奥に、天をつきそうなほどの立派な、杉の巨木がそびえ立っていたからだ。

 荘厳で、神々しく、それでいて温かなまなざしを秘めたその巨木に、ただただあっけにとられていると、おばあさんは迷いなく、まっすぐに、しめ縄の巻かれたご神木の足元に向かい、木の保護柵を前にして、ゆっくりとひざを落とした。

 金剛杖を自身の肩にもたせかけ、手を合わせ、頭を下げ、神聖な祈りのようにも見えるその対話を、それから二分ばかり続けた。

 日傘を差した何人かの参拝客が、背後を通り、カメラのシャッター音を響かせたが、おばあさんはびくともしなかった。僕はその姿を見て、誇らしいような気持ちにさえなった。そんなおばあさんと旅の終焉を無事に迎えることができて、心の底から嬉しかった。

 その夜、太平洋が一望できる安房(あわ)天津(あまつ)の民宿で、おばあさんは清澄寺の千年杉の思い出を聞かせてくれた。

 疎開先の鴨川まで訪ねてきた年の離れた兄と、清澄寺まで出かけ、千年杉の木肌に二人で触れたこと。「ここに俺の命をあずける。もし必要なとき、いつでも取りにこい」そう言い残して、南方の海に、戦友とともに沈んでしまったこと。そして今日、その命を受け取りにきたこと。

 生後半年になる、いまだに一度として病院を出ることのない孫娘のために、おばあさんができることは、ただ一つだった。

 自分の足で、歩いてその命を迎えにいくこと。そして、(くだ)なしでは生きられない孫娘の手に、しっかりと握らせてあげること。

 僕はその行為が、けっして馬鹿げているものとは思わなかった。たしかに非科学的で、病状を改善させる根拠はどこにもない。命を手渡すという行為が、それを試みた本人でさえ、きっと実感できないはずだ。

 でもおばあさんは、たしかにその受け渡しを成し遂げたと、僕は信じている。

 お遍路から二か月後の秋の終わり、僕は階段から転げ落ちたおばあさんが、救急車で病院に運ばれたことを、帰宅したおりに娘さんから聞かされた。

 大腿骨の骨折と、頭部の強打。

 すぐにでもお見舞いに行きたかったが、余計な気遣いをさせたくなかった。そして骨折の手術が無事に終わって数日後、僕は病室を訪れ、悲しい現状を目の当たりにした。

 娘さんから聞かされ、心がまえはしていたものの、やはり僕のことを忘れられていたのはショックだった。そしておばあさんは、ほんのひと月ほどの間に、実年齢よりもかなり老け込んでしまっていた。

 家に戻ってからも、うまく歩くことがかなわず、車椅子に頼る生活がつづき、それから二年のあいだに、完全な寝たきりになった。ときどき介助人の手を借りて、車椅子が庭先に出されたが、おばあさんはうつろなまなざしで、じっと金木犀を見つめるばかりだった。

 残念ながら翌年に、おばあさんは老衰のような症状で亡くなってしまったが、僕の心は悲しみだけに満たされてはいなかった。ときどき日曜日になると、大家さんの家から子どもたちのはしゃぐ声が聞こえていたからだ。

 僕は窓辺に腰かけ、幼児らしからぬ分厚いめがねをかけた女の子を、それから何度か芝生の庭に見かけた。姉らしき女の子を追いかけ、元気いっぱい走りまわるその姿に、僕はいつの日かの、疲れを知らないおばあさんからの、たしかな命の引きつぎを見たのだった。

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