第18回小諸・藤村文学賞 中校生の部最優秀賞

公開日 2013年12月02日

最終更新日 2013年12月02日

食べられたメダカと食べた金魚

聖園女学院中学校一年

幸村(ゆきむら) 愛果(あいか)

 その日、メダカ六匹と金魚二匹がわが家にやってきた。弟が消防フェスティバルというお祭りに行ってすくってきたのだ。

「本当は、すくえなかったけどね。消防士のおじさんがくれたんだ」

と弟はてれくさそうに言った。

何はともあれ、この金魚たちはわが家の一員となり、玄関の水槽の中でその優雅な姿で、私たちを楽しませてくれることになった。そのはずだった。

次の日、さっそく水槽にえさを落としていた弟が、

「メダカが一匹いない」

と言いだした。確かに数えてみると五匹。一匹足りない。しかし、同じ姿形をして元気に泳ぐメダカたちを、目で追うのは容易ではない。

「草のかげにでも隠れてるんじゃない。そのうち、出てくるわよ」

という母の言葉に皆納得した。

 ところが次の日、またさらにメダカが減った。草のかげもさがしたが、やはり四匹しかいない。金魚に食べられたのかもしれないと、思い始めていた。だんだん心配になってきた。

 翌日になって、ショッキングな出来事に出くわした。予想どおりだったのだ。何と金魚の一匹が、私たちの見ている目の前で、メダカをパクリと飲みこんだのだ。さらに悲劇は続き、別の一匹のメダカは、顔を半分食べられながら泳いでいたのだ。何ということだ。えさだって十分にあげているのに。何てひどい金魚なのだ。私はひどく悲しくなった。金魚がにくらしくてたまらなかった。でも、嘆いてばかりではいられない。残った三匹を救出しなければならない。母がよく漬け物をつくる大きな瓶に、メダカを三匹移した。問題はポンプだ。家にはポンプが一台しかない。明日になれば、母が仕事が休みなので買ってきてくれるというが、問題は今日をどう越すかだ。空気がなければ、せっかく助かった命が、消えてしまうかもしれない。そんな気持ちだった。でも、いくら憎らしく思った金魚でも、そちらからポンプを取ってしまうわけにもいかず、どうしたらよいか分からなかった。

見かねた母が、

「しょうがないわね。本当はこんなことしてる暇はないんだけど」

などと言いながら、ポンプをストローでうまく分岐させて、二個の水槽に平等に空気を送れるように工夫してくれた。これでやっと一安心。メダカも自分たちだけになって、安心して泳いでいるように思えた。けがをしたメダカも少しゆらゆらしながらも懸命に泳いでいて、生きようとする強い生命力が感じられた。何とか頑張ってほしいと、私も思った。

 しかし翌朝、残念なことに、そのメダカはもう動かなくなっていた。水槽からそっと取り出し、庭の土に埋めてあげた。「ごめんね」って、心から思った。母が金魚に詳しい隣のおじさんに聞いたら、金魚はメダカを食べてしまうということが分かった。皆知らなかったのだ。最初から分けていればと、後悔の念でいっぱいになった。

 それから一ヶ月、金魚とメダカはそれぞれの水槽で元気に泳いでいる。メダカは二匹になってしまったけれど、食べられたメダカの分まで懸命に生きているように思える。考えてみれば、金魚に罪はなかった。この出来事は、金魚にとってはただの日常。たまたま食べられるものがそこにあったから、食べてしまっただけの話である。

むしろ、知らないとはいえ、一緒の水槽に入れた私たちの方が悪いのである。そして、勝手にかわいそうとか、憎たらしいとか言う感情を持ち出してしまって、人間は勝手な生き物だと思った。私たちだって、大切な生き物の命をいただいて生きているではないか。おまけに好き嫌いまでして残してしまうことだってある。ちょっと反省してしまった。

 今回私は、この小さく透きとおるような命たちに、いろいろ教わった。考えさせてもらった。食べても食べられても、けがをしても、どんな時でもその時その時を一生懸命に生きるから、命って美しいんだと思った。そして、私たち人間も、時に身勝手ではあるが、何よりも他の者を愛おしく思ったり、優しくしたりする感情がある。こんな感情が、いつまでも自然で素直に出せるような人でありたいと思った。

 食べられたメダカと食べた金魚、そして、私も同じ大切な命。ある限りを生き抜く、今まで気付かなかったことに、ふと出合った気がした。

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