第17回小諸・藤村文学賞 一般の部最優秀賞

公開日 2013年12月02日

最終更新日 2013年12月02日

あの道はあまりにも遠すぎて

和歌山県和歌山市

松本 愛郎

私の大学生時代はアルバイトに明け暮れていた。学生相談所を訪れては、楽そうで日給の高い、所謂おいしい仕事を探す毎日だった。

今から三十三年前。そんな大学生だった私は、二ヶ月という長い夏休みのほとんどを北海道で過ごした。三回生だった。当時は今と違って、就職活動は四回生からだった。従って、三回生の夏休みは、学生時代のうちで最も自由な時期だった。二ヶ月のうち一ヶ月半は牧場のアルバイトに従事し、その収入で残りの十日余り各地を旅して廻ろうとしていたのだ。

当初は、この話を持って来た友人と二人で行くつもりだった。ただ、私はあまり乗り気ではなかった。「だって仕事はきついし、日給も安いんやろ」というのが、その理由だった。結局、友人から余りにも熱心に誘われたので、渋々申し込むことにした。

派遣元の学生相談所の説明会に出かけた。

「皆さん、この仕事は決して楽ではありません。毎年、途中でリタイアする人が必ずのようにいます。遊び半分に考えている人は今のうちに降りてください」

と担当者の人に釘を刺された。

 ところが、一緒に行くはずだった友人は、直前になって家庭の事情で行けなくなり、夜行列車には私一人で乗った。あえて帰りの旅費は持っていかなかった。

 乗り継ぎに乗り継ぎを重ねて、派遣地の雄武町(おうむちょう)に着いたのは翌々日の昼下がりだった。オホーツク海に面した、この北の町は最果てというのにぴったりの町だ。相談所のくじ引きで決められた派遣地だったが、最も遠い所に当たっていた。酪農の町だ。人の数より牛の数の方が多い。隣家に行くのに車が必要だ。

 駅前の農協で待つうち、五十年配の、いかにも朴訥そうな男性が車で迎えに来た。牧場のご主人だ。牧場に到着すると、ご主人と同年配の奥さんと、小学生位の四人の女の子が出迎えてくれた。

 早速、その夜はジンギスカン鍋で歓待してくださった。生まれて初めて羊の肉を味わった。大変美味だった。しかも、羊の肉が私の口に合わなかったらと、気遣われたのか、牛肉も用意されていた。ご主人も奥さんも実直を絵に描いたような方だ。ただ、お二人共無口だ。話題が続かなくて気詰まりを感じる。座を和ませようと冗談など言ってみたが、笑わない。これから四十五日間こうなのかと思うと気が重くなる。もっとも先方でも、遠い都会からやって来た、この軽はずみな若者を、どう扱っていいのか困惑していたのだろう。

「嫌でなかったら、明日、朝五時に牛舎へ来てくれ」

 食事が終ると、ご主人からぶっきら棒にそう言われた。

 この「嫌でなかったら・・・」というのは、ご夫婦共に口癖らしく、何か仕事を依頼する時、必ずこの言葉が添えられていた。

 次の朝から、毎朝五時に牛舎での作業が始まる。牛の乳搾りをするのだが、ほとんどの牛はミルカーと呼ばれる機械が使われる。何頭かの牛は手作業で搾られるのだが、最初の頃、私はやらせてもらえなかった。コツがいるのだ。私の朝の仕事は、専ら糞尿の片付けと牛舎の掃除だった。

日中の主な仕事は牧草集めだ。「嫌でなかったらサイロへ入ってくれねか」と言われ、円筒形の建物の中へ入る。上から降って来る牧草をフォークという道具で均していく。慣れるまでは、草の落ちるペースに着いて行けず、自分が草に埋もれてしまったりしていた。

 しかし、それらの仕事は、まだ楽な方だということが、しばらくして分かった。最もきついのは、梱包された牧草を積み降ろしして倉庫に運び入れる作業だ。一個二十キロもある梱包を一日何百個と積み降ろしする。筋肉が何度も悲鳴を上げていた。

 夕方六時頃になると、日中放牧されていた牛が、牛舎へ帰って来る。昼間、のんびり草を貪り食っている牛を見て「僕も牛に生まれて来れば、良かったですよ」などと冗談口を叩いてみたりした。そして、夕方の乳搾りが始まり、私は牛舎の掃除をして、ようやく一日の仕事が終わる。

 謙遜して言われているのかも知れないが、この牧場の牛乳は、あまりにも品質が良くないのでチーズやバターの原料になるそうだ。それでも、そこの家庭では搾りたての牛乳を温めてお茶がわりに飲む。お世辞抜きに美味しかった。時々、牛乳の表面に黄色い斑点が浮いていることがあった。どうやら、牛の尿らしかった。最初は少し抵抗があったが慣れると平気で飲めるようになった。それよりも、一本の牛乳に、これだけの人の労力が注がれているだということを深く感じ入った。飽食の時代に育ったといわれる私達の世代だが、以来、私は出された食事を残すことができなくなった。

 牧場での仕事は相変らずきつかったが、徐々に体が慣れ始めた。雇い主のご夫婦を無口な人々と評していたが、奥さんとはしばらくして慣れ親しめるようになった。私の学生生活や大阪の街のことなど興味深げに聞いてくださった。「恋人はいるの?」などと聞かれるようになった。そこの四人の女の子達には、すぐに懐かれまとわりつかれた。女の子達は、十三歳を頭に、十歳、八歳、五歳だ。特に懐いてくれたのは下の二人だった。夕食の時には、当時流行の『ピンクレディー』の曲を唄い踊って見せてくれた。上の二人には、夏休みの宿題を見て、とよくせがまれた。

 本当に失礼な話なのだが、ご夫婦の年齢を当初、五十歳位と見誤っていた。実際の年齢は三十代半ばであることが、しばらくして分かった。つまり、自分の両親と同年代だと思っていた人達が、実は自分の年齢と一回りと少ししか離れていなかったのだ。そう思うと下着を奥さんに洗ってもらうのが急に恥かしくなった。

 初めのうちはやらせてもらえなかった牛の乳搾りも、二週間位過ぎて初めて許された。見よう見まねで、おっかなびっくり、その作業をしていると、子供達がやってきた。

 「お兄ちゃん、ヘタやなあ。あかんなあ」

と口々にからかった。彼女達は私の大阪弁を面白がって真似した。アルバイトが終わる頃には、彼女達はすっかり私の言葉が移って、普段も大阪弁を話すようになっていた。

 そんな子供達が、ある朝、今日の夕食はすごいご馳走やから、今から楽しみや、と言っていた。御馳走といえば、ジンギスカン鍋かと思い、尋ねると「(ちや)う。もっとすごい御馳走や」と言う。そう言われて、私も楽しみにしていた夕食は、なんとカップヌードルだった。無理もない。この辺りでは、それはなかなか手にはいらないのだ。それも、田舎の料理ばかりでは飽きるのではと、奥さんが私のために気を利かせてくれたらしい。わざわざ、遠くののスーパーまで車を飛ばして買いに行ったのだそうだ。「これ大阪では、いつでも食べられます」とは口が裂けても言えなかった。

 牛の出産にも立ち合うことができた。子牛が姿を現わして、前足が出た時、ご主人がロープを巻きつけて引っぱり出す。かなり荒っぽいやり方だが、生まれ落ちた子牛はすぐに立って歩き出す。バンビのようで可愛い。心配なのは母牛の方だ。出産の後、伏せの姿勢のまま動かなくなった。三日間、飼料も食べない。他の牛が外へ出て行く昼間もずっと伏せたままだ。この状態が続くと、地面に着いた部分から炎症を起こし、やがて死に至るのだそうだ。夜、ご夫婦が「明日起きられなかったら処分すべえか」と話し合っていた。私は心が痛んだ。「僕も、牛に生まれてくれば良かった」などと冗談口を叩いたことを後悔した。

 次の日の朝、祈るような気持ちで牛舎に入ると、その牛が立っている。まったく何事もなかったかのように、のんびりと飼料を貪っていた。

 ご主人は無口で実直な方だ。けれど、一緒に仕事をしていくうちに、言葉は少なくても、私のことを気遣ってくれているのは分った。期間の後半は、ご主人と二人で毎日山へ行く。奥さんが作ってくれたお弁当を持って行く。ソフトボール大のおにぎりがぎっしり詰まったお弁当だ。ご主人から「食うのも仕事のうちだ。しっかり食え」と言われる。最初の頃、おにぎりを一個食べるのがやっとだった。それでも、アルバイトも終盤になった頃には、八個食べられるようになって、ご主人を驚かせた。そして、食べたおにぎりの数だけ、ご主人との会話も増えていった。酪農の未来のことなど熱く語られたこともあった。

 さて、アルバイトの最後の夜。やはり夕食はジンギスカン鍋でもてなしてくださった。ご主人が私のグラスにビールを注ぎながら言う。

「嫌でなかったら来年も来ねえか」

「残念ですが、来年の夏は就職活動で忙しくなるので無理かもしれません」

「サラリーマンになるのか?」

「そうですね。出版社か旅行社に入れたらいいんですけど、うちの学校のレベルでは大手は無理やと思います」

「もし、嫌でなかったら、牧場やってみねえか。牛と土地なら、いくらでも貸すべ」

 何度も言うが、実直そのもののご主人だ。アルコールが入ったか

らといって酔狂を言うような人ではない。思えば、そこの家庭は女性ばかりで跡とりはいない。心は揺れた。結局「両親と相談して

みます」

と濁した。

 もし、その道を選んでいたら、と今でも思うことがある。大地に

根を降ろし、自然を相手に汗にまみれている自分がいるはずだ。い

く度かの転職の末、あちこち歩き廻っては、広告媒体を売って、口

に糊をしている今の自分とはかなり違う。それでも夜、恋人でもあ

る共同経営者と発泡酒を酌み交わす時、やはりあの道は遠すぎたと

思う。それでも、別れの朝、奥さんが持たせてくださったソフトボ

ール大のおにぎりがぎっしり詰まったお弁当の味は今も忘れられな

い。バスに乗り込む時にかけられた子供達の声も。

「行ったらあかん」

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