第16回小諸・藤村文学賞 一般の部最優秀賞

公開日 2013年12月02日

最終更新日 2013年12月02日

大雪の贈り物

長野県小諸市

内 村  和

 あの日は、雪が夜半から休みなく降り続いていた。ぼたぼたと牡丹雪は降り積んで、昼近くには膝丈ぐらいになった。

 昭和二十年二月、山間の村は音も消えて、ひっそりと深い雪に埋もれた。

「まだ降るのかなあ」私は大戸を細く開けては何度も灰色の空を見上げて、その度に同じことを呟いた。

「そろそろ乗合バスが来る時間になるからな、こっちに来てよーく温まっていな。楢の火は強いからな」

 祖母が、火箸でおきを掻き起こして、楢の割り木を囲炉裏にくべた。とろとろと燃えていたほだ火は、ぼっと大きく息をするように炎を上げて、黒光りした鉄瓶を包み込んだ。

「爺やんが、乗合が村の入り口に来るのを見張っているから心配しないで、さあよーく温まりな」祖母がまた手招きをした。

「三月の試験休みまで帰れないのだから、忘れ物はないだろうね。おやつのあられと炒り豆を入れておいたよ、同じ部屋の人たちにあげる分も沢山あるからね」

 母は膨らんだリュックサックを上り框に置いてから声をかけた。その時、

「一時十五分はとっくに過ぎたよ。でも乗合はまだ見えないって、大雪で木炭バスなんか、動かないじゃないのかって、爺やんが言っていたよ」

 弟が、寒さで赤くなった頬をしてかけ込んで来た。

「どうしよう、寒中休みは今日までだし、汽車の切符も買ってあるのに…」

 私は泣き出しそうになっていた。バスに乗って次に電車に乗って、汽車に乗って、篠ノ井でまた乗り換えて二時間、幾つものトンネルを越えて、松本まで行くのだ。

「この雪じゃあ、駅までの一里の道は、とても歩いて行けないよ。父さんでもいれば何とかなるのだけれどー」

 母が溜息混じりに小さく言った。鉄瓶の湯がたぎって、シュシュッと蒸気を吐いている。「おお寒い」

 大戸が開いてラクダ色の襟巻きをして、手拭で頬かむりをした祖父が、懐手をして背を丸めるようにして入って来た。

「二尺の上は積もったから、今日はもう乗合は来ないぞよ。珍しい十年ぶりの大雪だ。汽車だって遅れるに決まっている。松本に着けるかどうかも怪しい。行くのは明日にしろ、切符は明日も使えるからな、心配するな」

 祖父は頬かむりを外して、上り框に腰を下ろした。母も、

「その方がいいよ。この大雪では今日、寄宿に帰れない人はいっぱいいるだろうから、先生には手紙を書くから、心配しないでもう一晩泊まってゆきな」

 私は、ほっとして大きく頷いた。

「わーいわーい」

 弟は喜んで、私の重いリュックをまた茶の間に運びこんで行った。

「雪はまだ止まないけれど、大丈夫かなあ」

 私はそんなことを言いながら、もう一晩、暖かいこたつで寝ることが出来ることに、感謝していた。寮の生活は辛いことが多かった。九時には消灯で、冷たい布団に入らなければいけない。消灯になると室長さんに聞こえないように、手足をこすり続けて、ようやく温まって眠る。「兵隊さんのご苦労を思いなさい」先生に言われるまでもなく、私は布団の中で真っ先に、去年の春、四十二歳で召集されていった父のことを思っていた。「老眼鏡を持っていく兵隊が、必要になったなんて、米国はおっかねえ国だぞ。俺はあの野郎どもの底知れない強さを知っている」父は若い頃の海軍の服を着て出征したのだった。横須賀にいるという便りが一度だけあったが、軍艦には乗っていないと、祖父が言っていたので、家の者は少し安心して、武運長久を祈っていた。

「明日は一番の乗合で帰るのだから、早く寝るんだよ」

 母は北の間の昨日と同じ所に、こたつにうまく足が入るように、布団を敷いてくれた。そして弟と私に、

「小さい頃寝る前に、よく話をしてやった安寿と厨子王を覚えているかい」

と、笑いながら言って出ていった。私は父のいない今、二人の姉弟で仲良く頑張れということだと思って、布団をかぶった。

 「父さんが来たんだよ。すぐ起きて身支度をして茶の間においで」

 真夜中、母の声で弟と目をこすりながら行くと、茶の間のこたつの上座に姿勢のよい父が座っていた。右側には祖母、左側には祖父、そして父と向かいあいに母がいた。十一時は過ぎていた。

「父さんはな、これから大湊という所に行くことになって、少し時間があったから、こっち廻りの汽車に乗って、家に寄ったんだと」

 祖母はそんな説明をした。

「父さんはなあ、ソ連に対する北方の守りに行くんだぞ」

 祖父も口を添えた。

「大湊は軍港だよな」

 弟は一人前に大きくうなずいて言った。

「サイパンも玉砕したし、本土決戦が近いのか」

 祖父がまた聞いたが、父も母も誰もが黙っていた。弟は、

「神風特攻隊や人間魚雷が、敵をやっつけるから大丈夫だよな」

と父の目を見て胸を張った。

「銃後の皆は、B29なんかに負けないよ」

 私は何が起こるか分からない今、はるかな北の任地に行く父の目を見て言った。父は軽くうなづいたようだった。大人たちは黙っていた。

 やがて、母と祖母は静かに立って、台所に行った。いくら農家でも供出が多くて、七分づき米に麦を混ぜたご飯で、白米などは食べられなかった。でも腹いっぱい食べられるだけ幸せだった。プップッとご飯の炊きあがる音がしてきた。母が手をまっ赤にして、野沢菜漬けと沢庵と串柿を持ってきた。

「暖かいお茶でも飲んでくれや」

 祖母がきゅうすに、湯を注ごうとした時、「待て、水盃をしてからだ」

 祖父は、さっと立ち上がると、神棚から、お歳とりにお神酒を飲む素焼きの盃をおろして来た。

「こんな時代だ。雪のお陰で三所にいる家族が揃った。こんな機会なんかもう無いかもしれない。だからな、水盃をして覚悟しておけば、何があっても思い残すことは無いからな。いいか、一口ずつ飲んで回すだぞ」

 縁起でもないこととは誰も言わなかった。盃に満々と水が注がれ、真っ先に父が飲んで、右廻りに盃が回り、最後に祖父が飲んだ。無言の儀式だった。父は姿勢を崩すことなく、殆どしゃべらなかった。祖父はゆっくりと胡座をかいてから、穏やかに、

「去年の串柿は良く出来てな、百束ほど清水屋がいい値で買ってくれた」

 と少し笑って父を見た。

「そうかい、それは良かった」

 父は皆を見まわして言葉少なに言った。灯火管制で電燈のかさの周りには黒い布をたらしてあるので、薄暗い黄色の光りが、こたつ板の上に落ちて、周りの皆の顔はうす黄色くぼんやり陰っていた。

「大雪のお陰で皆が父さんに会えたなあ。良かった、良かった」

 祖母が私の肩を抱きながら、しみじみと言った。

「何だか不思議な気持ちだなあ」

 弟が腕を組んで首をかしげた。台所から大きな真っ白い塩むすびを持って来た母が、こたつの上にそっと置いた。

「長い間汽車に乗って行くだから、残しておいた白米のおにぎりだよ。荷物だけれど持って行きな」

 祖母は涙を拭きながら、竹の皮に入れたおむすびを新聞紙に丁寧に包んだ。

「父さんは何時の汽車で行くの」と聞くと、「四時五十分頃の汽車だから、もう子どもは寝ろよ。父さんもひと休みするからな」

 父は初めて以前の父らしい表情で言った。

 朝早く目を覚ましたが、父の姿はもう無かった。何の痕跡もなく、夢のような気がした。「父さんは」と聞くと母は、

「ずっと前、暗いうちに行ったよ。来た時と同じように大屋の駅まで歩いて」

 コトコトと音をさせながら、乾し菜を刻む手を休めずに、小さな声で言った。

「三里半も、あの深い雪の暗い道をずっと歩いて行ったんだね」

 母は返事をしないで、背を向けたまま手を動かし続けていた。

 その年の六月、祖父は再び息子に会うことなく逝った。

 そしてあの八月十五日が来た。父は混乱の最中の秋半ばに復員して来た。その後、大湊のことも終戦のことも、大雪の夜のことも、家族の話題には、一度ものぼることはなかった。唯ひたすら父も母も蚕を飼い、稲を作って老いるまで懸命に働き通した。もう故郷の家は無人になった。夢なのか現だったのか。

 どこに潜んでいたのだろうか、孤独のときを埋めるように、何気なくそっと淡い鉛筆画のような優しい情景が立ち上がる。こうしてひっそりと、懐かしい者たちに出会えるのは、齢を重ね、別れを重ねてきた者への贈りものなのかもしれない。老いるという現象は不思議である。

 長い夜が訪れる季節になった。

(無断転載を禁じます)


お問い合わせ

教育委員会 生涯学習課
TEL:0267-22-1700
FAX:0267-23-8857
備考:メール送信時はE-Mailアドレスの@(アットマーク)を半角@に変更してから送信ください。また、匿名のメールにはお答えできませんので、ご了承ください。