第14回小諸・藤村文学賞 一般の部最優秀賞

公開日 2013年12月02日

最終更新日 2013年12月02日

  一般の部最優秀賞作品です。味わい深いものがあります。

 小諸・藤村文学賞へのあなたの応募をお待ちしています。


  

 爪

  

東京都小平市

中 川 晶 子

待ち合わせ駅構内の売店前に、息を切らせてたどり着くと、娘の口から漂う酒の匂いに気付きながらも、父は黙って、

「じゃあ、行っか」

と言った。

 薄汚れたよれよれのジーンズに、着たきりの毳立ったセーター。朝起きて髪に櫛を当てる暇も無く、顔も洗わずに飛び出して来たのは一目でわかる。何処で寝起きをして居るのか、もう一週間近くも無断で家を出たきり帰って来ない娘を咎めるでもなく、

「そこで、弁当ふたつ買っていぐべ」

と、スタスタ歩き出した。

 背中にかついだリュックから、小ぶりのナタの柄が二本のぞいている。白髪まじりの禿頭が、寒々しいまだ春浅い駅のプタットホームに入っていく。弓道具屋が生業の父とその娘は、電車で小一時間ほどの海沿いの村へ、矢の材料となる竹を切り出しに行くのだ。

 下りの鈍行列車は、平日ののんびりした空気だけを乗せてガラガラだった。真ん中のボックス席に腰を落とすと、二日酔気味の娘はすぐ眠りこけた。市街地から離れて行くに従って、だんだん山並が迫ってくる車窓に、父のタバコの白い煙だけが流れていく。深い眠りの中で、誰かから手を引っ張られるように感じた時、父の手が肩をたたいていた。

「おら、おら、着いたぞ」

 海の匂いがして来た。そう思いながらプラットホームに降り立つと、父の背中は六十歳を過ぎたとは思えない早さでもう改札を通り抜けて、村への道を歩き出していた。

 その一帯は、浜からの強い風を防ぐため防風林として、昔から矢柄竹を代々守り続けている地域だった。平屋の大きい農家は、家の周囲を矢柄竹の竹薮でおおっている。

 矢柄竹は、普通の篠竹や薮竹と違って節が少ない。それが矢の材料に向く一番の特長で、父はその竹を切り出しに毎年早春のこの頃、この村にやってくるのだ。

「こんにちはー

しばらくですぅ

弓屋ですが

今年も来ましたー

よろしぐー」

 勝手口から父が声を掛けると、農家の留守番のおばあさんが顔を出す。

「しばらくだごどー

 元気だったすか

竹、いっぱい切っててけらいん

おがって、おがって(育って育って)

しゃあましてたどごだ(困っていた)」

 もっと話をしたそうなおばあさんをうまくとりなして、父は竹薮に向かう。

「ほれ、軍手。

竹の葉っぱはよっく切れっから、顔にもほっかむりをしねど、後で痛くなっつぉ」

仕事に入ると、急に冗舌になった。父は、私の養父であった。父には先妻と先々妻の間に五人の男子がいた。一人は養子に出し四人が残ったが、地味で座り仕事が多く、儲からない商売を嫌ってか、誰も後を継ごうとはしなかった。

 二人の妻に病気で先立たれた後、長い間、やもめ暮らしを続けていたが、私を連れて婚家を出ていた母と再婚した。かつては、四人の男子のうち、誰かが竹の切り出しに駆けつけたものだったが、今となっては、家を飛び出した養女に、母を通じて声をかけるしかなくなっていた。

 家を囲む竹薮に入って行くと、竹が群生している。父の持って来た長靴にはき替えて、恐る恐る歩き始める。

 矢柄竹は、竹のてっぺんにしか葉が生えない。一年目で一枚、二年目で二枚、三年目で三枚、その三枚目が出た竹だけを目で選りすぐって、根本から刈っていく。

 広い竹薮の私の視界の中に、もう父の姿は無い。その中で黙々と、三枚目の葉の出た竹だけを探す。竹の葉を数えるために見上げたその上に、すこーんと晴れ渡った青空が見え、チッチッと鳥が飛んでいる。手元に四、五本もの竹をかかえると、今度は、それを道路端に置きに出る。一息ついて、再び薮の中へ入る。同じリズムで何度も何度もくり返していく。

「おーい、

しっかり、竹の葉っぱの数を見ろよー」

 二日酔の頭痛のする頭に、父の存外に若々しい声が響く。渇いた喉に水筒の水が美味い。竹の葉の上の青空が、正午の太陽のまぶしさで段々見上げられなくなって来た。目がクラクラするなと思い始めた頃、かなり遠くの竹薮から、父の声が聞こえた。

「おーい、

弁当食うぞー」

 家の縁側で、弁当を使えと言う農家の声掛けを、

「いや、陽も出てあったかくなったし、

そこの沢の所で食うっちゃ」

と断わって、二人で小さな川のそばに腰をおろした。

 ポケットからタバコを取り出そうとモゾモゾしていると、強い父の視線を感じた。父は黙ってこちらを見ている。わざとふてくされるようにタバコを箱ごと、あぐらをかいた自分の足元に投げつけるように置いた。父の前でタバコを吸うのは初めてだ。

 やや沈黙があってから、

「おめも、両切ピースか」

という父の声が聞こえ、自分のタバコに火をつけた後のマッチの火が、私の目の前に来た。

 ふいに、自分でも予想しないほどの早さで目が潤んだ。悟られまいと、鳥の声の先を探すようなふりをして、横を向いた。

 三度目の結婚をした妻の娘を、九歳から育ててくれた父だ。馬鹿がつくほど、律義な男だ。仕事をしなかった日は、病気の時以外、一度も無い。毎日、毎日、小さな家の陽の当たらない仕事場で、こつこつと矢を作り続けて来た。弓道の道具が一式揃うには、弓師、矢師、的師、弦師、弽師の五師が要る。父の家は代々、矢師だった。家業が傾いたのは、戦後だ。食うや食わずの世情の中で、弓道具など売れるはずもなく、その時期を、にわか仕込みの八百屋やだんご屋をやって口をしのいだらしい。その間の苦労がたたってか、十三年間連れ添った最初の妻が四人の子供を残して死に、その後、私の母親と再婚した。

 ふと、父の手元に目をやると、カサコソと駅で買った弁当を取り出し、細い紐の結び目を器用に、長く伸ばした右手の小指の爪で引っ掛けてはずしていた。

「どれ、

おめの弁当のもはずしてやっか」

と、二つ目の弁当の紐も、あっという間にはずした。

 右手の小指のその長い爪は、ずっと家族を支え続けた爪だった。矢作りの仕事は細かい。矢の柄の模様になる金箔を張る時、絹糸を細く一重ずつ巻きつけて上からニスを塗る時、爪は父の体の一部というより、別の生き物のように小気味良く動いた。二センチ以上にも伸びた爪の先は、少し下方に巻いて、使い易そうな道具にも見えた。

「おめ、なんぼになった?」

「もうすぐ、はたち」

「あぁ、うん。んだったなぁ」

 この父と暮らし始めて十一年になるのだ。川の土手には、皆で陽だまりを探してそこに飛んで来たかのように、オオイヌノフグリの花の群れが、のんびりと、小さな薄青色の花弁を広げている。

 箸をゆっくりとていねいに動かしながら、弁当の米粒を一粒一粒、愛おしむように口に運ぶ父の姿を視界の端に捉えながら、決して口には出さない父の哀しみを思った。

 ・ ・ ・ ・ ・

 父が倒れたと聞いて、九歳の一人娘を連れて新幹線に乗り込んだ。娘は丁度、私が養女になった頃の年齢になっていた。父は、実の子供達の孫よりも、不思議にこの娘を可愛がった。産まれたばかりの娘の顔を見た時、ポツリと、

「こんな赤ん坊が産まれるなら、家も大丈夫だやな」

と言い、しみじみと寝顔に見入っていた。

 病室に入ると、父は意外に元気そうだった。腕につながれた点滴の管を、居心地悪そうに時折、揺すりながら、

「遠くから、わざわざ悪がったなぁ」

と、涙ぐみながら言った。

 それから一週間、付ききりで看病した。色々な話をした。暖かな日差しの病院の個室で、私は、何度となく、あの竹切りの話を思い出した。弓矢が家業の父と娘にしか出来ない、あの一日。

 退院する幾日か前、父は立ち上がって点滴の棒につかまり、病室の外の景色を長い間じっと眺めていた。城下町独特の古い街並が続いていた景色も、今はマンションが建ち並ぶビル街になった。その窓の外の景色と、古い手職人の老いた父の姿は似合わなくなっていた。

 ベッドに戻ると、父は突然、

「爪切りあるか?」

と聞いた。爪切りを手渡すと父は黙って、あの大切にしていた右手の小指の長い爪を、パチンと切り落とした。

 自宅に戻ってから程なくしてから、父は亡くなった。

 柩に入れられた父の両手の指先は、きれいに切り揃えて組まれていた。

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