耳取大塚古墳・13の古墳

公開日 2013年05月27日

最終更新日 2016年03月31日

みみとりおおつかこふん・13のこふん

耳取大塚古墳・13の古墳

(1)耳取大塚古墳

 

指定項目

耳取大塚古墳

所在地

小諸市耳取

所有者及び管理者

弥美登里神社

指定年月日

昭和45年3月31日(史跡)
指定番号 4-2

概 説

耳取大塚古墳は、現在市内にあるもののうちでは最大で、平地に単独で造られた円墳(単独墳という)である。

少なくとも明治時代には既に開口(石室が開いていること)していたようで、副葬品についてはまったく不明である。

昭和9年(1934年)、八幡一郎氏により実測が行われ、その後昭和59年(1984年)3月に、長野県史に関連して測量調査が筑波大学により実施された。

古墳は南に若干傾斜する緩斜面に築かれており、径25m、高さ5.85mである。

石室は墳丘の中腹部に開口している。玄室の平面形は長方形で、両袖式と呼ばれ、長さ4.3m、幅は2.38~2.98mと奥に行くにしたがって広くなる。

奥壁は高さ2.35m、下端幅2.52m、上端幅2.52mである。奥壁に使われる鏡石は表面の大きさが長さ2.98m、高さ1.8mの巨大なものである。右側壁の腰石は二石あり、その上に0.9×1.9m~0.6×0.9m程度の長方形の石材を二段に横積みしている。石材の大きさは不揃いで、石材間に40×50センチ程度の詰石をし、さらにその隙間に小礫を充填している。

左側壁の腰石も二石で、この上に長方形の石材を二段に横積みしている。概して、左側壁は右側壁よりも大型の石材を用いている。

左側壁の詰石も右側壁同様である。なお、両側壁ともかるい「持ち送り」という技法が使われている。

石室に用いられている石材の多くは、浅間山の火山岩である多孔質集塊岩が用いられている。佐久市家地頭1号墳と玄室がきわめて類似していることが指摘されている。家地頭1号墳には埴輪が伴なうことから6世紀後半、耳取大塚が7世紀前半という年代観が与えられている。

耳取大塚古墳写真

(2)13古墳

 

指定項目

13古墳

所在地

下記一覧表

指定年月日

下記一覧表(史跡)

概 説

市内の古墳は、今のところ、前期・中期のものは知られておらず、後期(6~7世紀)のもので、いずれも横穴式石室を持つ円墳である。主体となるのは、7世紀に入ってからと考えられている。

 

古 墳 名

所 在 地

規 模

指定年月日

市村藤塚古墳

大字市字藤塚

径10m 高2m

昭和49年8月8日

指定番号 4-6

与良古墳

甲3328(与良区東野岸)

径16.8m 高2m

 〃

指定番号 4-7

松井古墳

甲4249(松井区寺窪)

玄室3.27m1.65m

 〃

指定番号 4-8

観音平古墳

大字滋野甲字観音平1625

径10.5m

 〃

指定番号 4-9

久保田第2号墳

大字平原字久保田1124

径12m 高3m

昭和49年9月9日

指定番号 4-10

加増第6号墳

加増三丁目53-1

径12m 高3.7m

 〃

指定番号 4-11

三ッ子塚第1号墳

大字平原字三ツ子塚1690

径8m 高2.5m

 〃

指定番号 4-12

唐松第1号墳

加増三丁目422

測定不能

 〃

指定番号 4-13

唐松第2号墳

加増三丁目422

径10.3m 高2m

 〃

指定番号 4-14

加増第1号墳

加増二丁目80-1

径7×5.8m 高3.65m

昭和50年4月9日

指定番号 4-15

一ツ谷大塚古墳

大字御影新田1936

径14×11m 高2m

 〃

指定番号 4-16

唐松第3号墳

甲1364-2(乙女区)

径16m 高4.6m

昭和50年6月5日

指定番号 4-17

唐松第4号墳

甲1363-1他(乙女区)

径15m 高3.1m

 〃

指定番号 4-18


市村藤塚古墳


三ッ子塚第1号墳


唐松第2号墳


唐松第3号墳

 

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