小諸義塾塾長 木村熊二

公開日 2013年08月29日

最終更新日 2015年05月18日

木村熊二

 島崎藤村の旧師であり、小諸義塾塾長だった木村熊二は、弘化2年(1845年)、出石藩儒(出石藩主に仕えた儒学者)である桜井石門の次男として京都に生まれ、5歳の春に出石藩(現在の兵庫県豊岡市出石町)に引き取られる。8歳で江戸に出て、10歳の時に石門の弟子である木村琶山の養子となる。

 その後経書を学び、幕府の徒目付となり、21歳の時に田口鎧子と結婚。明治元年に長男祐吉誕生。戊辰戦争では勝海舟の下で活躍した。

 明治3年、友人の外山昭一の勧めで渡米。ニューヨークで勉学に励み、牧師の試験にも合格し、明治15年に帰国。

 明治18年の秋に、妻鎧子と明治女学院を創立するが、翌年8月に妻鎧子が病気のため急逝する。

 明治21年に伊東華子と結婚するも、華子のスキャンダルにより明治女学校の職を退くこととなり、8年で離婚。

 明治24年に高輪台教会の牧師を辞職し、翌年キリスト教の伝道のため信州南佐久郡野沢村に移住する。

 小諸義塾設立の発端は、明治26年、向上心に燃えた小諸町の青年小山太郎が、木村熊二に義塾設立について協力を要請したことに始まる。

 木村熊二の尽力と指導のもと、小諸義塾開校の準備は進み、明治26年11月には、小諸市耳取町の佐藤知敬方において開校式が行われた。

 以後、木村は義塾の経営をはじめ、教育に専念するかたわら、懐古園内への植樹や果物(特に桃)の栽培や缶詰製造事業の奨励、中棚鉱泉の開設等、地方産業の発展にも貢献した。

 明治29年には耳取町に校舎が建設され、この年に雅楽の名家東儀家の隆子と再婚する。

 明治32年には長野県知事の認可により、それまでの私塾が改組されて中学教育を行うようになり、同年4月には島崎藤村が木村熊二の招請により、英語と国語の教師として赴任する。

 ※小諸市立小諸義塾記念館のホームページへ

 明治38年、藤村が義塾を退職し上京した後、小諸義塾は財政難その他の事情により存廃問題が発生し、翌明治39年、義塾設立から13年にして廃校となり、木村も小諸を去り長野市へ移住する。

 その後は各地の教会や学校で説教を続けたが、大正6年に帰京。昭和2年、83歳でその生涯を終える。

水明楼

 なお、木村が小諸に在住していた明治31年には、井出静らと中棚鉱泉を設立し、その近くに書斎として「水明楼」を建てた。当時の士族屋敷の家を移したもので、1、2階合わせて30坪あまりの木々に囲まれた草ぶき屋根の家で、現在も見学が可能。

水明楼(小諸市観光協会ホームページ)

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